うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

音と文字列と印象と記憶


この写真は、先月に行った地方のヨガクラス会場近くで見つけた古本屋さんの入口で目が合った草刈正雄さん。
わたしが子どもの頃、"くさかりまさお" という音はハンサムな人間という認識と無条件でワンセットでした。「ハンサム」の象徴のような名前でした。
家族やテレビの中の人たちがその前提で話していたので、なんとなくそう認識していました。子どもの目では、ハンサムって(いまでいうイケメン)よくわからないんですよね…。よくよく見たときに「この人は、"ガイジンさん" ではないのか…」と疑問を抱きつつ、子どものわたしは "くさかりまさお" の音を "ハンサム" と紐づけて認識しました。
ギーターの「音(詩)」と「神への信愛」の関係も、この感じと似たものかと思います。インドは識字率がとても低い国です。


わたしは「くさかり」が「草刈」であると知ったときに「えー、なんかすごく田んぼっぽい!」と思いました。わたしは田畑の多い景色を見て育ったので、急に "くさかりまさお" が近づいてきました。音しか知らない頃のほうが、大多数の人と同じ認識(ザ☆ハンサム)で居続けることができていました。
"知ること" そのもののもたらす紐づけとその個別性ついて、この写真をきっかけにふと思い出しました。わたしはいつも、ぼーっと町を歩きながらこんなことを考えているのです。
(これの別バージョンは以前哲学ブログのほうに書いたことがあります。ご興味のあるかたはこちらからどうぞ)



ここがその古本屋さん。





なかなかパンチのある品ぞろえでした。