うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

反共感論 ― 社会はいかに判断を誤るか ポール・ブルーム著 / 高橋洋(翻訳)


世の中にこういうことを考えている人がいると思えるだけで、少し安心できる。そんなふうに感じる内容の本でした。
映画「スラムドッグ$ミリオネア」のタージ・マハルのシーンで去り際の白人女性がとる "あの行為のあの感じ" をとことん言語化すると、きっとこうなる。
わたしはこの本にある、以下のようなことを考えることがよくあります。

 共感を擁護する最善の議論の一つは、共感の対象になる人々に対して親切に振舞えるようにするというものだ。この主張は、実験、日常生活、常識によって支持される。世界が単純な場所なら、すなわち一人の人間がたった今抱えている問題のみに対処すればよく、その人を助けることがつねにポジティブな効果を生むような場所なら、共感の擁護は確固たるものになろう。
 しかし世界はそれほど単純な場所ではない。私が主張したいのは、共感に動機づけられた行動が、道徳にそぐわないものになる場合が頻繁に、それもきわめて頻繁にあるということだ。
(107ページ)

わたしはその業界特有のムードや正義で突き進むものが道徳にそぐわないと感じる場面にたびたび遭遇してきました。さもビジネスちっくなワードが飛び交っているけど、やっていることは事実上パチンコ産業と同じビジネスモデルなのに…と思ったり。ウェブメディア上でのクリックさせる・気にさせる見出し作りだって、広告在庫(ページビュー)を生み出すため。読ませる文字列を組むことは、麻薬をちらつかせる行為とよく似ています。
そしてわたしには、人口が減っているなかで前年比アップをめざすことがどういうことなのかというをちらと気にしてしまう。麻薬の濃度を濃くしようと考える人がゆくゆくでてくることが当然である方程式に気がつかないほど、算数が不得意なわけでもありません。
いまはそういう仕事から遠ざかっているけれど、自分がそれを目にしなくて済む場所へ逃げただけのこと。


この本は、読みながら自分を省みる材料がどしどし続きます。
なかでも第4章にある、仏教では共感を区別しているという紹介がすばらしくよいです。自身の論の補強のされかたとして、すばらしい。

 哲学者のチャールズ・グッドマンは、仏教の道徳哲学を扱った本のなかで、仏教の教義では、本書でいう共感に該当する「感情的な思いやり(sentimental compassion)」と、私たちが通常思いやりと呼んでいる「偉大な思いやり(great compassion)」を区別すると述べている。彼によれば、前者は菩薩を消耗させるので避けるべきであり、追及する価値があるのは後者である。偉大な思いやりは、より距離を置いた立場をとり控えめで、いつまでも維持することができる。
(170ページ)

感情的な思いやりだけが思いやりだと思っている人の多い空間に行くと「このあとなにか高額な商品でもすすめられるのだろうか」と思うのですが、どうでしょう。親しくない人から欲しくないものをすすめられていく展開で起こるあの感じは、まさに菩薩を消耗させている瞬間。


漠然とにおわせるような表現や、わかる人にだけわかるような表現までも削ぎ落とした書かれ方。久しぶりに切れ味のあるものを読みました。