うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

その反応の気持ちの種は、よい方向へ影響するものかと考える


わたしはたまにヨガ講師やヨガに関する事業をやっている人から「なんでこういうふうにしないのか。みんなそうしているのに」というトーンで質問をされることがあるのですが、自分が場を設ける練習については、いろいろ判断基準があります。
わたしの考えていることは、わかりやすくないだろうと思います。
言葉にするなら


 これに反応する気持ちの種は
 練習に参加する人にとって、よい方向へ影響するか



というようなこと。
たいへんやんわりとした判断基準です。
具体的に考えかたの例を出すと、たとえばこんなことです。

  • 個人で判断し行動する人を優先する

ヨガはすごく個人的なものだと思っています。個人単位でバイタルが上がってくると、世の中に余裕がまわって世界がなめらかになる。ヨガを広い意味でそういうものと解釈しています。たまに複数人前提で申し込みたいということをほのめかす人がいるのですが、その際も個人単位で申し込んでもらうようにしています。

  • 申し込みかたで差が発生する仕組みを設けない

休日を調整・申請するシフト業務の人や、家族の世話を他者に任せるなどの調整を要する人にビハインドな状況が発生しないよう、早期割引やボリューム・ディスカウントのようなものは(わたし個人単体で開催できるクラスでは)ないようにしています。

  • 初参加しやすく(=タコツボ化を避ける)

初参加や参加回数の少ない人が気を使わなければいけないことにならぬよう、意識しています。わたしはお笑いライブへよく行くのですが、そこでありありとこの重要性を学びました(前に書きました)。

  • ミニマム告知

そもそも在庫のあるもの(=残席が埋まっていく)なので、目につきすぎないように告知をしています。席がなくなったらそっと閉じます。

  • お知らせメールなどで過度に掘り起こさない

「もう切る髪がないのに床屋が律儀にハガキを送ってくる」とつぶやいた老人の言葉をきっかけに、ここもミニマム告知を心がけるようになりました。


いざ行動を始めたら、瑣末なことがどうでもよくなる。これがヨガの練習のいいところ。
会場に余計なものを置かないなどのこともそうですが、練習以外の要件はできるだけシンプルなほうが、練習の時間を通じて「できた」という事実が認識しやすい。認識する事実がシンプルであるほど、その後の自信にもつながりやすいだろうと考えています。