ここ数年でいろいろな年代・バックグラウンド・常識を持った人と交流があり、それが積み重なっていっかいメモリがショートしたのは先日書いた通り。
わたしが近ごろ混乱していたことの要因には、世間の大きな流れに沿ったものがあって、それは物件余剰。いままで「使わせてあげてもいいけど」という対応だったスタジオや施設や組織やグループが「使いませんか。ぜひご利用いただきたい」みたいなトーンに変わっていって、それが年々加速しています。
同じように、別の業種でも「OSごと変えたの?」くらいの勢いで運営ポリシーが変わることがあって、そこで記憶ごと一掃する人もいれば、記憶だけはしっかり過去のまま残している人もいて、OSとメモリとアプリの掛け合わせの差異がとにかく細分化している。
はじめは話しかけられるたびに相手の信じていることを鑑みて対応しようとしていたわたしも、
最近はあらゆるギャップの局面で
そういうOSとメモリを積んでいるのだね
で、このアプリをつかってみないか。ということね
と考えるようにしています。
こうすることで、あらゆる要件が拡大化の一途をたどるなかでも、ニコニコしていられます。
多様化に適応するというのは、こういうことなのかも。