今年の春から練習場所が移転したのを機に、アーサナや瞑想やマントラ以外のヨガの要素(教典にある内容)を、練習でお会いした人向けにオンラインorアーカイブの形でお伝えしています。
今日はその話です。
身近な人とのコミュニケーションをヒントに
わたしはここ3年くらいで、個々が社会で担う役割がマルチタスク化しているのがしんどいな、と感じるようになっています。
なにか困りごとが起こった際に「あー、それね」と序盤をショートカットした状態で話せる相手を選ぶことが、対人関係を保つ秘訣になってきました。
より心で繋がり続けるために、自己同一視や共感を強く早く求めない忍耐が必要になってきました。
そういう意識の使い方が人間の知性・理性だと教えてくれる要素が、ヨガの教典・聖典にもあり、近頃はその側面からヨーガ・スートラが沁みるようになってきました。
話題選びが難しいコンプラ社会でも話したいことがある
そんなことをずっと考えてきたので、オンライン小話の題材を「実はよくあるのに、いちいち話題にしないこと」にしています。
これまでの回で、こんな話をしてきました。
- 噂話が生み出されることについて
- 自己肯定感について語ることは慰めか
- 自分探しは心の基本機能
- 自信を持つという言葉が腹落ちしていない
上記の直近の4と、毎回序盤で話しているコンセプト部分の動画をウェブ上にアップしました。
以下のページの下のほうにあります。鼻から牛乳が出るような話はしていないので(真面目に話していますので)どうぞご心配なくご覧ください。
理解のきっかけはタイミングだから
ヨーガ・スートラはいきなり2行目が出オチの構成になった書物です。
このため、奥にある深い題材にたどり着きにくいのが、なんとももどかしい本です。
よくよく読むと人間の心を苦しみから解放することについて書かれていることがわかってくるのですが、「ヨガの奥義書」と言われると、やさしさよりもむずかしさの方が前面にあるように感じられます。
わたしはヨガをはじめて20年近くになりますが、やっと最近になって「あ。この本は、わたしを戒めようとしているのではなく、癒そうそしてくれているんだ」と思って読めるようになりました。
こういう自分の日本人らしい思い込みの部分も含めて、わたしは一緒に身体を動かした人との練習の延長だと気軽に話せます。
なので身体を動かして感じたことと日常の思考をヨガ的に紐づけるヒントとして、ナウな現代のトピックと相性の良い部分をピックアップして伝えることにしました。
ヨガの練習のあとにふろくのお知らせが届いて日常のテーマと重なったら、ちろっと奥まで開いてみてください。ヨガには日本の道徳観とは違う視点が多くあるので、ちょっとずつお話ししています。
<わたしのヨガのお知らせ>
わたしが開催しているヨガは、どなたでもやりたい人・やってみたい人が予約連絡して参加できるシンプルな運用です。はじめての方もお久しぶりの方も、運動にブランクがある方も、どうぞ気負わずおいでください。
運動着とお水とタオルがあればOK。ヨガマットは会場にあります。
▽東日本橋・浜町で開催しています
画像はイメージです。
(このおじさんは登場しません)