うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

空間とバイブレーション


先日、ヨガの練習で使わせてもらっているスタジオの事務局の手違いで、急きょバンドスタジオで練習するというアクシデントがあった。ダブル・ブッキングをしちゃったんだって! そのスタジオは100回ほど使わせてもらっているのだけど、わたしにははじめてのこと。スタッフのかたも大慌て。
ほかの場所を探してなんとかしようとしてくださり代案をふたついただいたのだけど、時間を優先して「バンドスタジオでやります」ということにした。音楽から運動まで「スタジオ」を総合的に運営している会社ならではの変化球。あと15分後には運動する気マンマンの人々がスタジオへやってくるよ…という時間に、ドラムセットのがっつり入った状態の部屋へ案内され、これらを今から速攻で撤収するという。たのむぞヤング。そんな30秒ほどの打ち合わせを終え、わたしはまず着替えに走った。
そのあとは練習にやってきた人から着替えのあとすぐに設営作業に加わってくれて、ドリフのセットの入れ替えみたいな速さで稽古場ができあがった。あなたはマット運び。あなたは事情説明と誘導係。あなたは、まず着替えて。昔やったセミナー・イベントの仕事を思い出した。
機材のない部屋でも、ドラム・セットの場所には段差がある。「そこのドラムの位置の人。段差に注意して〜」と、通常では言わないことを言うヨガクラスになった。
はじめのマントラの時点で、初参加ではない練習者全員が


 響かない


とあきらかに感じた。
音楽スタジオなので防音設備がばっちりすぎて、音が吸収されていく。いつものバイブレーションが壁や床や天井にまるで吸い込まれていくかのよう。
バイブレーションの遮断された空間というのは、こういうことかと驚いた。屋外のヨガでも、マントラの響きは感じられているのだなということを、この日はじめて知った。まるで座骨の微振動までもが床に吸収されていくようで、とても不思議な感覚。


わたしのインストラクションの声の響きかたもいつもとかなり違っていて、なんだかわざわざ音を遮断した瞬間に一人だけずっとしゃべっている人、みたいに聞こえてくる。ものすごく自分がなにかを言いたい自意識過剰な人のように感じてくる。
このおかしな感じは、たとえるならば



 デデデ デッデッデ デデデ デッデッデ
 デデデ デッデッデ デデデ デッデッデ
 テレッテッテッテレ。 



  あんた あの娘のなんなのさ



のときの、最後の一行の宇崎竜童。
あの瞬間のような存在感で、自分のインストラクションが自分の耳から入ってくる。どうしよう。わたし、宇崎竜童じゃないのに。


クラスのはじめはそんな感じで、わたしもたいそう混乱した。おまけに空調もうまく使えない。「どうしよう」の連続。初参加の人にとっては、今日はヨガとはほど遠い雰囲気だし、なんのこっちゃと思っただろうな…と推測したのだけど、とても楽しかったらしい。ノリのよい人だった。
なんか、あの空間にはバンドスタジオ特有のエネルギーがあったなぁ。あれは、なんなんだろ…。
壁が赤と黒だったせいかな。マインドがブギウギした。