うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

理由が明確なほど滑稽に見えてしまう儀式

わたしは、いわゆる



 意識高い系



というものをくだらなく感じてしまい、ゆえについつい見てしまう。
インド思想では、意識は「高低」ではなく「粗いか微細か」という基準で話します。なので「意識高い」+「系」というのは、粗い意識をドンと棚の上に置いたような感じがする。
なかでも、



 メンターランチ



という儀式の存在が不思議でなりません。
理由がネーミングに入っているのって、とにかく愛がなくて残念。そこはかとなく悲しい。
わたしは「メンター = マスター・ヨーダやミスター・ミヤギ級」を想像してしまうので、メンターランチなるものを見かけると「それノリスケさん級で、ぜんぜんメンターじゃない」とつっこみたくなる。そういう「ナナメの関係」っていうの? ノリスケさんに意味があるのは知ってる。だけどそれはメンターではない!(笑)。
「OB訪問」は、する側が主語だからいい。メンターランチというネーミングの問題は、実は目を向けられるべき領域を侮辱しているというか、ガンジーの言った「神の子」に似たモヤモヤ感がある。



と、社会の中ではこんなことをモヤモヤ考えるのですが、わたしにとって、もっとも週末に説明回数の多い儀式といえば、これ。




 ヴィンヤサ〜♪




特に説明しない。一緒にやるだけ。



 「これねー、儀式だから。しんどいのは知ってるけど
  儀式ですから! はい、ヴィンヤサ〜♪」



説明は、以上。
で、細腕の女性も腕立て伏せをします。




儀式なんでね。やるんです。で、スッキリします。



日々「薄っぺらいな〜」と思う案件を無理矢理ヨガっぽく書いてみましたが、やっぱり無理がありますかね(笑)。