これはクラスの冒頭で、はじめての方がいらっしゃったときにたまに話す喩えです。
アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨーガには赤いクラスと緑のクラスがあって、赤がうどんで緑が蕎麦で…という話ではありません(年末ムードを出しております)。レッドは Red ではなく Lead で、道案内・リード付のクラスという意味です。
・・・となると、道案内のないクラスというのがあるのか? ということになるのですが、まったく案内がないわけではなく "順番を覚えて自分で進みましょう。忘れちゃってもなんとなくチラ見したら、だれかが同じような道を歩んでいます" といような、マイソール・クラスというのがあります。わたしの足の裏クラスという意味ではありません、マイソールというのはインドの地名です。
はやく本題に入らなきゃ。
わたしはもともとアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨーガのレッドクラスがすごく好きで、3年たっても先生に「一生ハーフ・プライマリでいいです。まだまだ楽しみがあって」と言っていた気持ちが今も変わりません。手旗信号みたいに「赤上げて♪ 白上げない♪ ぐるっと回っちゃ… …いけないよ☆」みたいなリードに合わせて動いている間に執着が削ぎ落とされていく時間が好きです。
順番に合わせて動いている間に執着が削ぎ落とされていく
次が来る。待ってもくれない。そこが好きです。
待ってくれないから、次回はスムーズに次の形に入れるように順番を覚えようとしたり、呼吸に乗せようとします。
そのトライ&エラー、トライ&ズッコケからの学びが好きです。
待ってくれない
この感じをわたしは
頼んでもいないのに次が来るわんこそばのような感じ
と、説明しています。
食べてるうちは、次が来ちゃう。→ 来ちゃうので、食べる。
いんへーる → えくすへーる → いんへーる → えくすへーる → ……
わたしは蕎麦アレルギー持ちなので、蕎麦を食べることができません。
なので「わんこそば」には、並々ならぬ憧れがあります。落語で蕎麦をすする場面も、楽しそうだなぁと思います。以前は年末になると「みんなは一緒に楽しめることがあって、いいな…」と、完全なるいじけ虫でした。
でもいまは、わんこそばのかわりに人と一緒に練習ができます。
心の中で
ねえねえ、わんこそばって、こういう感じなんでしょ?
わかる。わたしも、わかるよー。食べられないけど。
どんどん次が来るよぉ。わーい☆
と、長年いじけていた自分を抱きしめています。
わたしの説明に出てくる、わかったようでわからないような微妙なたとえには、小さな理由があるのです。