うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

身体や頭は「歪む」のではなく、「曇る」というほうがしっくりいく

本屋さんに行くと「ゆがみ」の本がたくさんありますね。人の身体は内臓が左右対称に格納されていないので左右対称ではないし、目鼻口が全方位に向けてついているわけではないので前後対象でもないのだけど、「歪んでいる」といわれるとなんだか気になる。
一般的には、ハローキティ師匠のようにずっと片方に向いた姿勢をとっているとそっち側に向きまっせというような、癖からくる変化を言っているのだと思うけど、慢性的にそうなるとしんどいという視点では、わたしの感覚では「歪み」ではなく「曇り」というほうがしっくりきます。



わたしは過去に何度か、ものすごくショックを受けて頭(心)は活動停止しているのに身体はめちゃくちゃいいパフォーマンスを発揮しているという状況があって、そのとき「うちこちゃんの頭」と「うちこちゃんの身体」がわかれてふたりに見えました。まるで頭ちゃんを身体ちゃんが「大丈夫だよ〜生きてるよ〜」といって引っ張ってあげているようでした。
その後は頭も身体も「歪む」というよりは「曇る」というほうがしっくりくる感覚になりました。それまでは、ずっと頭ちゃんが身体ちゃんに指示をしていると思っていたので、今日はここが調子悪そうだな、くらいにしか思いませんでした。



たまに「身体がいうことをきかない」と加齢自虐ネタで言う人がいますが、バランスを整えるためには、頭が身体に歩み寄るのがよいというのがわたしの考えです。そこで瞑想の効用が勧められると美しい流れなのでしょうけれども、いきなり座ってもうまくいかないというのがわたしの経験則。頭が意識過剰な場合、座った直後から身体の不調を見つけてそこを攻撃しにいってしまうのです。そして、「わたしは足首が硬いから、股関節が硬いから」などとさらに身体を蔑む。人はどこまでも頭が上位です。
なので、極端な話「ああ、やっと座れる。うれしい……」という状態まで、身体ごと疲れさせてしまってから瞑想に入る、そのステップをすすめています。



「ああ、やっと座れる。うれしい……」までいければ、運動は単純でもかまいません。ヨーガのアーサナは全方位を動かすのでおすすめではありますが、大切なのは「座れる。うれしい……」というところまでいくこと。なので、登山やスクワットもおすすめです。
身体が疲れると不思議と「曇り」が晴れてきます。重みは増えますが、運動を始める前の「曇り」は減っている。外側の筋肉疲労で身体は重いけれども、血液も気も流れがよくなるとクリアになってくるものがあります。
わたしはこれが、世間一般で言われている「ゆがみ」の原因と似ているのではないかと考えています。



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