うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

知性のアーサナ、理性のアーサナ


わたしはアーサナで身体を動かす人を見るときに、ふたつの視点で見ています。「身体の癖そのもの」と「補正提案があったほうがいいか否か」です。
たまに、「あなたはいまは、あえてこのままでいいと思うわ〜」と言います。そう言われると損した気分になったりするかもしれませんが、いちおうわたしなりに理由があるのです。



「身体の癖」は、あなたの「知性」
こう動かすと気持ちがいいとか、この位置が「しっくり」いくとか、みんなが同じフレーズを聞いていても出てくる傾向(癖)は、その人の「身体の知性」によるものです。なのであえて放牧します。放牧しつつ見守るペーターのような気持ちで見ています。



補正提案を認識するのは、あなたの「理性」
提案や指示をするのはわたしであったとしても、その意義を認識するのはあなたの身体の理性。
ことばでの「サジェスト」を受けると、理性の頭が身体に意義を認識させ、命令をします。わたしがタッチする「アジャスト」のときは、身体が先に感じたあとで、頭が「ああ、なるほど」となることが多いのではないかな。
頭は身体を支配できると思い込んでいるフシがあるので、アジャストしても結局戻ってしまうのであれば、ことばのほうを多くしてもいいかなと、そういう意味もあって、わりとよく喋っています。




ややこしい? むずかしいかな。




たとえばダウンドッグで、こんな言い方のバリエーションがあります。
(わたしが言う基本ポジション以外の追加要素)

  • 耳が腕よりも中に入りすぎず、かといって上がったままにもなりすぎず、腕の内側に重なる位置へ
  • 耳と肩の間の空間を大きくするように心がけて
  • 下の背骨を突き上げて伸ばす感じで

なんてのがあります。
(耳・肩・腕の位置は、ろっ骨を真横に閉じることで背骨に気を通す方向に仕向けたいためあえてこのポリシーでやっています)


で、その指摘の背景は

  • 頭を中に入れて肩甲骨をすこし寄せてみたくなったり
  • 下の背骨を伸ばすのではなく少し反らせてみたり
  • 耳と肩の間の空間を広げようとして、かえって脇の下の空間が外にひろがったり

なんてのが、みなさんのよくある「知性」の定番だから。
この状態のときは目線が半分逆さまになっているので、指令に対するアウトプットが混乱するというのもあります。





ちょぼちょぼ、指摘したりしますが、ちょぼちょぼ、感じていけばよいです。
わたしが言うのは「人間の身体の中でよく知られている方程式」みたいなものなので。
わたしも、講師の人から指導を受けるときは、「おっとここ、やっぱりか〜」と思いながら、直されるとうれしいものです。




どんなアーサナの状態も間違いじゃないんです。それがユーのナウな知性です。
こうすると気持ちがいいというのを、身体が過去の経験の印象をストックし、知っているのです。
「理性のブレンドされた知性」という状態もあります。アイアンガー畑で育ったボディは、少し頭が中に入る。アヌサラ畑で育ったボディは、ヴィラバドラアーサナで少しだけ反った感じになる。それぞれの畑の方法論や思想に基づいた知性。

こんなときは、見てるだけかよ! と思われそうで、まあ実際見てるだけなんですが(笑)、ユーの身体の知性を見ているのだわよ。最初に書いた、「放牧しつつ見守るペーター」の状態です。




しつこいようですが、指摘をされようがされまいが、人間という動物が行なう動きなので、「間違い」はないです。
たとえばありがちなケガを防ぐ優先順位を明確にしたうえで、「こうするほうがいい」ということはあります。こういうとき、わたしもうっかり「正しい」という言い方をしてしまったりしますが、厳密に言うと「目的や範囲を特定した提案」です。
ありがちなケガというのも、性格やお国柄(膝や足首の使い方の生活習慣)によってずいぶん違います。西洋人にスプタ・ヴァシュラーサナ(正座で寝る)を説明するときは、ガラスの靴を履かせるような気分で話しています。





アーサナの練習の現場で起こっていることは、身体の知性と理性のブレンド。お料理教室と似ています。集まっている人それぞれの味覚も違うし道具への慣れも違う。
なので、「できあがった料理をみんなでおいしく楽しく食べました☆」みたいなムードというのは、個々には「胸が開きやすかった」という環境補助にはなっても、あまり練習には関係ありません。みんな胃の状態も違うし味覚も違う。口内炎ができているとブレーキもかかるしね。それより、「考えすぎない感じで動けるムード」のほうがミラクルだと思っています。




よくある質問にも、あまりまじめに応えません。そこにデータ容量を使うのがもったいないから。

参加者さん:ヴィンヤサって、なんですか?
うちこ:これはね、いちいちポーズの合間にこれやるのが「儀式」なの。儀式だから、やってね〜。というわけで、ハイ、ヴィンヤサ〜
参加者さん:がはは〜(ぐでぐで〜)




みなさんの「知性」があぶりだされ、「理性」がどう動くかというのを見ながら一緒にヨガをすればするほど、「考えすぎない」って本当に大切だなぁと思います。
アーサナの練習は「ポイントを補正して理性を入れた後に、本来の知性があぶりだされてくる」ことがあり、己を知る気づきが多いものです。「自分の身体の知性をアナライズしつつ、ほかの傾向の人の知性を見てなるほどと思う」というのもグループ稽古の醍醐味。こういう学びのあるクラスはガイドを進めるのが難しいのだけど、アーサナを通じて「知性」と「理性」を認識できるように、今後はそういうことも考えていこうと思います。


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