うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

夢メモとヨガニードラ


最近少しだけ、サンスクリット語の「Patala」というのが体感でわかるようになってきたかも、という夢の話。「Patala」そのものについては、以前書いたので気になる人はこちらの日記を読んでみてください。
わたしはもともと年に1回か2回しか夢を見なかったのですが、ここ1年くらいは1ヶ月に1回くらい見るように(覚えていられるように)なりました。少し前のものですが、今日は夢記録のサンプルを紹介します。



■10月13日に寝たあと見た夢のメモ
ヨガ講師仲間・Sちゃんの彼が、元同僚でカメラ好きの男性の彼女であるという設定。ヨガ教室のあるビルで、三人でエレベーターに乗る。
そのあと元同僚のHという人が出てきて、その人はその二人を知っている前提になっていた。わたしはゲストハウスに住んでいて、シャワー室を見に来たと言っている。



■11月12日に寝たあと見た夢のメモ
新幹線で、名古屋へ。駅だけの記憶。車内らしきところで素敵な髪飾りの女性で出会って、撮っていいですか? とかいって和やかな感じで写真を撮ったら2枚で電池切れした。
場面は夜に変わる。クラブみたいなところでマジックショーを見ている。
ジョッキの中のビール微妙に減るという、ものすごく地味なマジック。マジックじゃないのにマジックとして大げさな説明をされているところにツッコめない雰囲気にやや困惑している。ジャニーズっぽいマジシャンで、ものすごくイケメンで人気者という設定にも困惑している。



■1月10日に寝たあと見た夢のメモ
子供のころに住んでいた家の向かいの田んぼで、風船をつかんで空を飛んだ。
兄と一緒に居た。兄役は、ヨガの練習で出会った人だった。




夢というのは不思議なもので、その夢を見ながら感じた違和感も記憶しているもの。半分夢だってわかってる。それを思い出して書いてみると……




■10月13日に寝たあと見た夢のメモ
なぜかヨガ講師仲間・Sちゃんの彼が、元同僚でカメラ好きの男性の彼女であるという設定。
カメラ好きの男性の家庭に最近赤ちゃんが産まれたというのを元同僚からの話できいて、たまたま出てきた感じか。Sとの組み合わせはさっぱりわからない。


ヨガ教室から三人でエレベーターに乗る。
この登場人物の組み合わせのおかしさを認識している。「この組み合わせは強引だろ。まあ夢だしな」という感じで受け止めている。


そのあと元同僚のHという人が出てきて、その人はその二人を知っている前提になっていた。
このHという人はうわさ話をよくする人なので、このときも「裏づけ役みたいに出てきたのかな」と思っていた。


わたしはゲストハウスに住んでいて、シャワー室を見に来たらしい。
ここは設定を信じながら夢を見ていた。東京に居てもそういう生活をしていたい、といつも思っているのはたしか。

■11月12日に寝たあと見た夢のメモ
新幹線で、名古屋へ。駅だけの記憶。
1月の関西行きの計画をしていた頃で、新幹線で行くか飛行機で行くかなど考えていた頃。このあと京都に申し込んでくれた名古屋の読者さんから、次回は名古屋で開催できるようにしましょうという具体的な連絡をもらった。ちょっとだけ予知夢っぽい。


車内らしきところで素敵な髪飾りの女性で出会って、撮っていいですか? とかいって和やかな感じで写真を撮ったら2枚で電池切れした。
素敵な髪飾りの女性のイメージは、ヨガの知人2名のイメージが重なった人物だった。ふたりとも民族衣装のような服の似合う、インドで出会った女性。写真を撮ろうとして途中で電池切れ、というのは現実でも夢でも多いことのような気がする。バッテリーの疲弊したデジカメをずっと使っているのでいつも気になっている。


場面は夜に変わる。クラブみたいなところでマジックショーを見ている。
ジョッキの中のビール微妙に減るという、ものすごく地味なマジック。マジックじゃないのにマジックとして大げさな説明をされているところにツッコめない雰囲気にやや困惑している。
ジャニーズっぽいマジシャンで、ものすごくイケメンで人気者という設定にも困惑している。
「それそんなにすごくないよね」とか「そんなにキレイとかイケてるみたいなイメージ作りって重要?」と他者に対して思っている本音が出ている。コンテンツとして「ジョッキの中のビール微妙に減る」という芸しか創造できないことにひどくガッカリした。

■1月10日に寝たあと見た夢のメモ
子供のころに住んでいた家の向かいの田んぼで、風船をつかんで空を飛んだ。
普通にその世界にどっぷり。体感でもふわーっと飛んでいた。


兄と一緒に居た。兄役は、ヨガの練習で出会った人だった。
そもそもわたしには兄が居ない。こういう兄がいればよかったのにという願望であろうか。


夢は潜在意識を反映するものであるというのは本当であると思う。そして、人のうわさ話というのは人の夢づくりに影響するので、しないほうがよい。他人の情報を他人に渡さないというのはとても重要。
ふだんから「ケッ」とか「くだらん」とか「けしからん」思っていることは夢に出やすい。なので、思う行為すらも浄化していこうという教義があるのだろう。まあそれでも出たら出たで「やっぱりね〜」というかんじで自分に寄り添えばよいと思う。じゃないと、人に言ってしまいそうだから。ここは自分を責めるところではないだろう。
願望も夢に出てくる。わたしはヨガニドラをはじめて2ヶ月終わったくらいから「誓いと願い事のあいだのようなこと」が夢に反映されるようになって、それが行動指針になった(旅しているときに思うような指針を日常にもできるだけ反映して暮らしていきたいと思っている)。わたしはこれをヨガニードラの最大の効果と思っています。ヨガニードラで唱えるサンカルパの説明を「誓いと願い事のあいだ」という表現で説明しているのは、そういう経験にもとづいた翻訳です。



ヨガニードラが気持ちよいと感じ、夢が変わってきた?! という人はこんなふうに文章化してみてはどうかな。自分の願望って意外と自分では明確にわからなかったり、意思の弱さの裏返しでまっすぐに見つめられなかったりするものです。なので、夢のお告げはだいじ。
自身のイマジネーションやギャグセンス、アドリブセンスの弱さも見直すことができます。まあ普通はあんまり見直さなくてもよいかもしれませんが、わたしはここも重視しています。