うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

つぼやきのテリーヌ The cream of the notes 2 森博嗣 著


つぶやきのクリーム」の続編っぽいエッセイ。ちびちび読もうと思っても止まらず、またもやイッキ読みしてしまった。


メディア、マスコミ、他人の評価と自己評価、ネット社会(とくにtwitter)、大人と子供。言及されている内容は、いつもながらうなるものばかり。今回は「車とお酒」の話がわたしにはない視点で、そうかぁ、そうだよなぁと感じた。数の原理やものごとのエネルギーの流れとして、こうしたほうがいいとわかっていても、ついついムードに流されてしまったりすることがあるので、森博嗣さんのこのシリーズのエッセイは何度も読み返している。


「奥様に対して、代名詞が何を指し示すのかを尋ね続ける人生。」のなかにあったお互いのアクションの受け取り方は、どっちもわかる気がして、すごく沁みた。
この一冊の中でいちばんうなずいたのは、ここ。

このまえ、水やりをしているうちに、空が暗くなり、今にも雨が降りそうになった。もうちょっとで水やりが終わるから「あと少し降らないでほしい」と思ったけど、こういう理不尽な要望というのは、社会でも意外に多いものだ、と発想できた。一人で含み笑いをしてしまった。孤独でも、楽しさはさまざまある、ということ。
(「僕の本職は、草刈り人、芝生管理人、それとも水やり人。」より)

こういう瞬間にふと笑えることって、すごく高度な自己肯定だと思う。



どのエッセイも全般、「視点」の話をしているのだけど、この部分を読んだら、よしもとばななさんの「体は全部知っている」と、森達也さんの「世界が完全に思考停止する前に」に書かれていたことを思い出した。

現代人は、相手の目線にまで口を出すナイーブさを持っているといえる。しかも、その目線は、単に自分が感じたものでしかないのだ。こういった妄想的評価が、あるときは、国どうしのいがみ合いの基にもなっている。
(「視点」と「目線」の違いを使い分けてほしい。」より)

「妄想の力学」をここ数年の社会問題とからめて書かれているトピックが多いので、メディアの情報の受け取り方のトレーニングにもなるエッセイです。



カタカナがうざいとセルフ突っ込みしつつ、「巫山戯た」ってもっとうざい漢字を使ってみたりしているのも、おもしろかったなぁ。
モグラを見た話は、うらやましい。うちの近所にも濃い土の山がぽこぽこある、「モグラ銀座」と名づけている場所があるのだけど、ぜんぜん出会えない。
今回は「おっとこれ、わたし、やっちゃってる」という事項が多くて、ご本人が自分のことを「年寄り」と書いていたけど、こういう年寄りエッセイはありがたいものです。


つぼやきのテリーヌ The cream of the notes 2 (講談社文庫)
森 博嗣
講談社 (2013-12-13)
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