年に一冊出版されるシリーズもののエッセイです。
自分と親の中間世代の人の視点を聞ける貴重な機会になっています。
100の話が収められているうち、特に81番目にあったジェネレーション・ギャップの話と92番目の “せっかちではなくなった” の話を、こうやって人は年齢を重ねながら変わっていくのかと興味深く読みました。
以下は自分にも自然に起こりはじめていることです。
一気に進めないで、一つのことを少し進めたら離れる。この離れている時間が大事で、その間にそれについて考えるというわけではないのに、次にその作業に戻ったときに客観的な見方ができ、良いことを思いつく場合もあるし、また、作業であれば、落ち着いてゆっくり安全に進められる。
(92 なんでも一気に片づけてしまいたい「せっかち君」だったが、今では完全に離脱。 より)
なにか資料を作成する際に、以前は初動の熱量を大切にしていたのですが、現在は作業時間や日にちを分散させています。
新しいことへのチャレンジはひとりで抱えないで誰かに中間の状態を見せてみる、という方法もよくやるようになりました。
熱量を重視することで先鋭化する自分の思考の危うさと狭量さを、これまでの年月でやっと学んでこれたのかなという気がしています。
次のトピックには、こうならなければいけないと思ったことが書かれていました。
自分とは違うものを自分のものにすること。自分の考えに水を差すような意見を参考にすることだ。その余裕を常に持とう。
(93 同じであることを確かめるよりも、異なっていることを見つける方が有意義。 より)
GWにインド旅行をした際に、他のインドの地域と全く違うコルカタの特徴を繰り返し見て、自分がいかに精神面で自分が "ヨガっぽいと思う理想" を押しつけたがっていたかを知りました。
この経験から参考になることを抽出しようと思っていた矢先だったので、そうそう、水を差されたのだと思いました。
以前は日本社会の特性に対する指摘にうなずきながら読んでいたのですが、いまは加齢とともに物事の捉え方が調整されていく様子を興味深く読んでいます。