うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

イルカ よしもとばなな 著


最近よく行くカフェに「旅人の置き本コーナー」があって、そこでばなな氏の本を何冊か借りて息抜きに読んでいます。
この本は「人生の悪霊」について書かれていて、わたしも最近やっとわかるようになってきたのだろうか、と思うタイミングで読んだので、このタマス(鈍性)がドロリと重く響いた。そしてもうひとつ、「ああこういうのを、ブラックマジックというのか」というくだりがあって、そこがとにかく印象に残った。こういう種類の攻撃やラジャス(激性)の気持ち悪さを描かせたら、バナーナンダ氏は最強だなと思った。


そういう心の描写がありつつ、主人公の恋愛小説家はヴァータ(純性)な移動をしながら、シングルマザーになる前提で子どもを産む。
いろいろな人が登場するのだけど、なかでも主人公と妹の会話の場面が、人と人との組み合わせとして「あるわー。こういう質問。こういう会話」という感じで印象に残った。

<199ページより>
「お姉ちゃん、今、不幸?」
妹が聞いた。
「そんなことはないよ。全然。幸福でもないし、不幸でもない。」
私は答えた。ずっとそうだった。別に幸福でも不幸でもなく、すばらしかった。いつだってそうだったのだ。
「そういうものなのかな。」
妹は言った。
「私、ばかだからわかんないや。」
「私だって、こういう考えになるまでに、何十年もかかったよ。」
私は言った。
「なんのために?」
妹は言った。
人生の悪霊と戦うために、とも言えず、己の可能性を見たい、も少し違うなと思い、私は首をひねった。
「なんでもいいから、新しいものをどんどん見たかったのかなあ。でもいつでも新しい考えは自分の中からやってくるから、経験を増やしたいわけじゃないみたいよ。」
私は一応言っておいた。妹はふーんと言った。

わたしは感覚と経験のバランスというのがわかってくると、こういうお姉さんのような感じになってくるのかなと思っている。
経験としていろいろな悪霊の存在を知ってはいるけれど、感覚としてそれをどう認めていくかは自分にかかっているという、データなどはあてにならない領域の話。



この妹さんは少し行動が残念な感じの人なのだけど、話の流れ上、それがとてもよい。妊娠の看病に来てくれたのだけど、作ってくれたのがすき焼きで、しかもそれが不味いという場面で

<192ページより>
そうやって許さなくちゃいけないことが増えていくのは、幸せなことだった。潔癖でかたくるしかった自分の人生がぐちゃぐちゃに壊れてどろどろに混じっていく、今度はその泥の中からはどんな蓮が咲くんだろう? そう思った。

平穏な状況を崩してくれることから救われることって、あるんですよね。
別のところで

<245ページより>
そう、先のことを考えると、考えた分だけ今の私のエネルギーがきっちりと減るのだ。

とある。こういう感覚で生きることは、すごく大切なことだと思う。



わたしの実生活と重ねて、ここはズシンと響いた。

<136ページより>
父がやもめになってからの暮らしぶりを見てもよくわかるのだが、差別的なものではなくて、純粋に肉体的に、男の人は世話をしたり育んだり、育てたりすることには向いていないのだと思うのだ。きちんとしていて清潔好きで折り目正しい父でさえ、母を失ってからとてつもなくだらしない面を見せはじめた。いろいろなものごとのバランスを見ながら世話をするということが、彼らにはあまりできないし、融通もきかないようなのだ。
なので、現代の女の人たちはどうしてもものごとの世話をしながら、外で働いて何かとぶつかることをおぼえなくてはならなくなり、それをすると肉体や精神に負担がかかる、という感じが実感としてあった。そしてその両方を生きている女の人たちに比べて、社会の中でいろいろなことにぶつかるおもしろさをこなしていくことがうまく発揮できない今の時代の男の人たちは、かっこよくなりようがなくて女の人たちに八つ当たりをしているように思える場面もたくさんあった。

いろいろなことを引き受けてきて、ここ数年で何度か、「いやぁ、もう、全部は無理ですってば」となった瞬間に少し開けることがあったりした。
わりと出だしのほうに出てくる、ここと重なる。

<30ページより>
あの時から、わたしは淋しさをおそれなくなった。ほんとうにおそろしいのは、自分が自分でいっぱいになってしまって、その孤独でのたうちまわることだと悟ったのだと思う。
私が求めていたのは、お金でも情でも補えないものを見つけていくことだった。

「世の中には、寄りかかる人と寄りかかられる人しかいないんだ」くらいの気持ちでいろいろやってきて、そのエンドレスな感じに慣れてきたころに、神様がくれたような解放がやってきたりする。これは神か、と思うようなことというのは、「生きろ」と言われた気がするようなことなのだけど、それは、そういうことでもないと見えないものかもしれない。



10代20代の子たちと話していると、それはただの流れと思うことでも「そんな僕って(わたしって)ラッキー」という文末になんとか落ち着けようとする強引さがよく見られる。こういうことを感覚的に日々やることで、将来の自分を思う不安に今の身体を慣れさせようとしているように見える。
それは「ポリアンナ症候群」を超えた筋トレ技術だなぁと思うのだけど、時代を重ねるほど創造的なことは減っていって当たり前なんだ。数の原理で。と思ったら、創造よりも「幸せ風味でやり過ごす技術」を蓄えていくほうが正しい智慧に見えてくる。



そんなことを思うので、きれいごとの裏に魔術を使うことのほうが、悪徳積んでますよという感じですごくいやなのだけど、それが、出産した人へかける言葉にありがちな例として出てきている場面があった。

<241ページより>
「痛い思いをしてもかわいいでしょう」とか「へその緒が首に巻いてなくてよかった」とかいう、よくある類のちょっとしたブラックマジックを使われても、部屋から早々に追い出しただろう。

ここは読まないとわからない流れなので、気になる人は読んでみてください。結果が出ているあとできく発言って、本当にこういうのが多い。わたしはわかりやすいバッシングよりも、こういうことに気づくことのほうが大事なことなんじゃないかと感じています。



小説としては、ちょっと気だるいお話ですが、描かれていることの本題は女心ではないので、そこんとこがわかる人は、読んでみたらいろいろ救われることも多そうな一冊です。


よしもとばななさんの他の本への感想ログは「本棚」に置いてあります。


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