うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インドで考えたこと 堀田善衞 著

1956年(昭和32年)のアジア作家会議参加時のことを綴った旅行記
詩人・小説家の文章なので、なにげないフレーズに突き刺さるものがある。

人は、自分の考えをかたちに見た、と思ったとき、嬉しくなることは出来ない。負担が重くなるばかりなのだから。
(44ページ 「抽象的第一日」より)


その歩みがのろかろうがなんだろうが、アジアは、生きたい、生きたい、と叫んでいるのだ。西欧は、死にたくない、死にたくない、と云っている。
(210ページ「おれは生きたい」より)


当時インドで受けた衝撃は相当なものだっただろう。そこで捉えられているものは、いま読んでも鮮やか。
不安や安心を生み出したりつかまえたり向き合ったり解消しようとする心の働きが、日本の中でどうやって生まれ育てられてきたのか。戦後の日本とネルー時代のインドを題材に著者さんがなにげなく投げかけてくるテーマが、ずしりときます。
この本を読むことで、戦争とインドと日本の関係を知ることにもなりました。

<55ページ「日本のイメージ」より>
老人は、日本についての記憶をぼつぼつと語り出した。
日露戦争以来、日本はわれわれの独立への夢のなかに位置をもっていた。しかし、日本は奇妙な国だ。日露戦争に勝って、われわれを鼓舞したかと思うと、われわれアジアの敵である英国帝国主義と同盟を結び、アジアを裏切った。工業建設をどしどし推し進めてわれわれの眼をみはらせてくれた。が、同時に、その工業力を。英国帝国主義と同じように使い、英国がインドに要求したと同じような、タナカ・メモリアル(対支出二十一カ条要求のこと)を中国につきつけた。つい近頃では、米英の帝国主義を叩きつぶし、植民地解放をやろうとしてくれた。が、それと同時に、その旧植民地を日本帝国主義の植民地としようとした。不思議な国だ。戦後には、アジアで英国支配の肩替りをしようとするアメリカと軍事同盟を結んだ。つくづく不思議な国だ」

この本にはこのあと何度か「歴史的な二重性」という言葉が登場する。
わたし自身、日本がアジアの国であるということを身にしみて意識するようになったのは最近のこと。アジア諸国との過去の因縁が再燃しているいま、ここを読んだら、ずしーんときた。

<157ページ「修身斉家治国平天下」より>
 いったい、そもそものはじめから政治というもの自体が、本質的に、つねにこういう二重性をもつものなのだろうか、と疑いたくなるほどに、近代日本の歩み方には、この二重性がつきまとっている。そしてこれは、単にに政治だけではなく、より根本的には近代日本人の心性そのものが、こんな工合に表裏反対のものをもち、従って根本的な問題はつねにこの二重性の谷間につきおとされて、ウヤムヤになってしまう、ウヤムヤにしてしまう。つまりウヤムヤのうちに時間がたち時代と流行のようなものが変れば、それで済んだような気になる ── こういう心性、こういう時間と歴史のおくり方をわれわれはどこから得て来たのか。われわれの弁証法は、何故、凸型にならないで、凹型に、問題解消ウヤムヤ型になるのであろうか。こういう心性の持ち主は、必ずや、当人がやっているつもりであることと、実際にやっていることはかけ違う筈である。原爆は禁止せよ、しかしおれは持ちたい ── 人々はいうだろう、勝手にしろ、お前はとても信用ならん、と。

ここまでで思いを一度まとめようかとコメントを何度も書いては消し……。で、思いはまとまらない。
この文の続きに、タゴールの言葉が登場する。

(つづき)
「道徳的盲目を愛国主義の儀式として、熱心に培養する国家は、突然の横死をもって存在を終るであろう。」
 というのが第一次大戦直後に日本に対して発せられたラビンドラナート・タゴールの警告であった。
 近代日本の外発的な開花、詩人タゴールによれば、「新しい構造をつくりあげたのではなくて、着物を着せかえたのかと思われた」開花、それによる「後進性」からの脱出、それだけでも大したことではあったであろう。しかしそれが表面的なつもりだけの脱出であり、実質的には西洋とのなれあい的な悪ずれであり、心性としては一種のすれっからしのようなものをもたらしているという事実がないかどうか。もしあるとすれば、それはわれわれが当然持ち得てよい筈の強烈な夢と理想を生むことを阻害し、それを内側から崩す作用をするであろうと思う。それはわれわれ自身の文化創造のエネルギーにもかかわることであるだろう。われわれは一九四五年の晩夏に「横死」から再生を期して新しい「構造」をつくりあげようとして立ち上がったのではなかったのか。それが、「横死」にいたったときと、歴史的にも軌を一にする論理のパターン、政治と経済の構造をいまもなおもっているように見えるのである。

「なれあい的な悪ずれ」。この「悪」は「長いものに巻かれることで考えることを放棄したい」という「疲れ(憑かれ)」のように見えるんです。外交よりももっと狭い領域での「力のあるものに群がる構図」に感じる。清くない(気がよくない)感じ。

<177ページ「連射連撃大エンゼツ会」より>
 私はインドで、ときどきオキナワはどうなっているか、と聞かれた。ウカツ者で健忘症なことにかけては人に劣らぬ私は、忘れてしまっていたのだ。アメリカの対日平和条約案と沖縄とインド政府との関係を。
 アメリカの条約案では、沖縄は日本から引き離され、国連の信託統治領に移されることになっていた。これに対して、日本の沖縄関係諸団体から、ワシントンの極東委員会に代表をもつ十数カ国へ陳情書がおくられ、アメリカ案から沖縄条項の削除を申し入れた。これに応じてくれたのがインド政府であったのである。サンフランシスコ会議直前の一九五一年八月二十五日、インド政府は、日本本土と共通の歴史的背景をもつ島々で、侵略によって日本が奪取したものではない地域には日本が全主権が恢復されるべきである、と主張し、信託統治案の撤回を迫った。全主権の恢復を、アメリカは拒否した。インドは会議出席を拒否した。


(中略)


沖縄問題を論じるとき、われわれは果して、日本の歴史の全イメージをそこに注ぎ込み、そこから逆に日本の全イメージをひき出すだろうか。なにかそこに足らぬものがある、と私に思われて仕方がないのである(私だけだろうか?)。それは以前の日本の構造と、近代日本の構造がまったく異なっているということに由来するのだろうか。私はそういう断絶を認めたくないのである。

「全イメージをそこに注ぎ込み、そこから逆に全イメージをひき出す」ことを、一瞬はしているのだけど、なにかで上書きしてしまうんだ。これは、なんだろう。




インドで感じたことから紡がれる言葉も、響く。

<79ページ「無慈悲な自然から思想が生れた」より>
比較的に気候温和で食物の種類の多い日本島に育ったものにとって、インドの自然が人に対してどんなに邪慳で無慈悲、かつ事実として脅迫的であるかを云うことはむずかしい。これはわれわれにはまったくなじみのない土地である。この土地で、人間が人間であることを証明し、生きていることの意味を見出すためには、思想、宗教が至高最高にして不可欠のものとなるということは、それほどに理解に困難なことではない。
 しかも、この土地で、この自然に対抗して、人間のあかしを立て、存在を証明するためにうちたてられた無類の思想が、極東の島に住む、われわれの祖先の人間のあかし、存在証明の手伝いをしてくれたのである。

もうまったく動く気になれない暑さの中で、「息をしている、生きている」というところから考えるにしては、よくもあんなにあれこれ考えたもんだと思う。ほんとうに。中国の次はインドだ、というけれど、あの気候を思うといまの時点のインドでもずいぶんすごいと思う。

<154ページ「修身斉家治国平天下」より>
 小・中学校を通じてインドとは、私にとってほとけさまの生れたところ、大英帝国の領土、という、それだけのものであった。広かろうが、暑かろうが、貧乏だろうが、人々が多かろうが、すべてこれ他人事であった。ガンジーとは、聖雄とかというものにすぎなかった。いまもその気配がなくはないと思う。ネルーは、どうやら哲人、あるいは哲人政治家とやらというものにまつりあげられかねない。
 聖雄とか、哲人とかというものにまつりあげてしまって、その具体との結びつき、その「後進国」的現実、そこでの行動からものを学ぶことをしない心性、そして先進国のウゴキばかりに気をとられる心性、これは民族的にももっとも不毛の心性であるだろう。国としては「後進国」、そこからものを学ぶことをしない先進国、あるいは支配階級は、いつか必ず行き詰まるであろう。これは人間性のつねである。

ガンジーネルーのことばには、「ものすごく混沌とした状況を、古い教えをたずねながらひも解いて繋いでいこうとする。国民を照らしていこうとする」姿がある。方々に対して「どう動いたら得策か」という策の正しさよりも、国民が「どう照らしてくれるのか」を期待していたと思う。秀才よりも賢人、賢人よりも少しだけ神に近い、そんな人たちに見える。改革者的な人物は、アンベードカルの顔が浮かぶ。



ネルーの政治に関する記述で、とても印象に残った箇所があった。

<160ページ「修身斉家治国平天下」より>
ある日私はアナンド博士に訊ねた。氏は若年の頃、ネルー氏の秘書をしたことがある。
ネルー氏を支持する層は?」と。
アナンド氏は言下に「Almost all. ほとんどすべての階級が」
と答えて、九つの要因を説明してくれた。
「再上層階級は、彼ならば無理無態な産業国有化や集団農場化を、つまり急角度ど、急速度な社会主義化を強行しないだろうということで支持、その次の階級は、官吏、その他の職を自身に、または子弟に確保してくれるだろうということで支持、中産階級は子弟に教育の機会を与えてくれるだろうということで支持、知識階級は、内政面に不満はあっても平和五原則による外交政策により支持、その下の階級、中産階級の下の方は、そのうちもう少しましな職業を与えてくれるだろうということで支持、その下、都市の労働者階級は、そのうち家を建ててくれるだろうということで支持、農民は、農地解放、農業改革の促進を希望して支持、そのまた下の半失業階級は、そのうちもう少し食い物と何か定職を与えてくれるだろうということで支持、そのまた下の階級、最低の階級は、なんにもかわらないから支持。

これを要約すれば、
 一、農民は土地について、
 二、労働者は住宅について、
 三、低中産階級は職業について、
 四、中産階級は教育について、
 五、上流階級は官公吏の職について、

おのおの支持ということになる。会議派以外の政党についてみれば、社会党は親米色を濃厚にして民衆の人気を失墜し、共産党は過去に愚劣な武力蜂起をやって力を失い、内政面では弾圧されながらその外交政策を支持するというかたちになっている」と。

4億人(当時のインドの人口)が、こういう構造で混沌としている。人口で言うと、いまのアメリカと同じくらいです。
オバマ大統領に対する期待も似ているのかな。今日ニュースになっていたロムニー氏の発言から、そんなことを思った(参考:CNNニュース)。


ものすごく昔の本なのに、ものすごく今のことを考えるきっかけになった。
タイミングが合ってしまったのか、たまたま今だからそこが強く響いたのかわからない。

インドで考えたこと (岩波新書)
堀田 善衞
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