うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ガンジーの危険な平和憲法案 C.ダグラス・ラミス 著

タイトルの「危険な」の意味するものが思っていた方向とは違っていたのですが、この本で示された内容はヨギにとって非常に興味深いものでした。国家のありかたや統治の構造について書かれている本なので、角度によっては統率マネジメントの参考書のような側面もあるのですが、うちこがタイトルをつけるならば、こんな感じです。


ガンジーのヨーガ的すぎる浄化独立国家論」



ヨーガ的すぎて、危険なのです。
ヨーガ的すぎて、国家のエゴがあぶりだされちゃう。そんな思想なのです。
そしてガンジーは……
  国民をヨギにしようとしていました。



この本に出てくる「全集」と記載されている書物は「The Collected Works of Mahatma Gandhi,Publications Division,Ministry of Information and Broadcasting,Government of India」という本。
そして印象に残ったキーワードは、二つ。「非協力」と「コンスティテュート」。
引用紹介行きます。

<31ページ 第一章 最大のタブー ネルーの見解 より>
大英帝国には軍事力があり、その攻撃がインド占領だった。その状況の中で、その敵に対して、ガンジー(そして当時は、ネルーも)は非暴力が最高の戦略と主張していた。ガンジーは単に、非暴力は道徳的なだけではなく、効果的な戦略で、実力を発揮する能力があり、武装する敵を国から追い出すくらいの勢力になる、とも議論していたのだ。
サティヤグラハ(サンスクリット語で真理の把握。非暴力不服従運動の中心概念)は無活動という意味なのではなく、一種の活動であり、戦わないという意味ではなく、自国を攻撃や抑圧から守る戦略なのである。そして結果として、サティヤグラハは大英帝国をインドから追い出すことに成功した。
 しかし、自分の国をこの戦略で防衛することを決心するには勇気が必要だということは、ネルーの言うとおりだろう。

ネルーという人は、意識の上では交わりながらも、真正面からガンジーと「それでも、なお」という議論をした人。その議論には迫力がある。この本では、日本の憲法第九条についてもたまに触れられています。


<33ページ 同上 より>
 ガンジーは言った。「どんなことでも臆病よりましだ。なぜなら、臆病は "二重蒸留" 暴力だからだ」(全集九一巻 三○二ページ)。つまり、彼にとって臆病とは、加害者の被害者に対する暴力だけではなく、被害者の自分自身に対する暴力でもあり、暴力のもっとも悪質な形なのである。

わりと初期段階でヨガっぽい思想がちらついてきます。インドだからか。


<43ページ 第二章 幻の憲法論の全貌 ガンジーの幻の憲法案との出会い より>
 ガンジーを歴史的な偉大な人物と評価しながら、ガンジー思想の重要な一側面をタブーにすることは難しいが、やり方はある。
 ガンジーの伝記を読むと、彼の個人的な素晴らしさ(あるいは不思議さ)が中心となっている。ガンジーにはカリスマがあった。彼には不思議な、他の人が持っていないような力があった。彼がいたからこそインドがあんなことができた。彼は聖人だった。などなど。
 ガンジーの精神力、知恵、状況判断力、リーダーシップ、誠実さなどが優れていたのは間違いない。しかし、そればかり主張すると、ガンジーは政治思想家でもあり、新しい政治思想を普及しようと努めたことが隠されてしまうのだ。彼が聖人であったならば、我々聖人でも何でもない普通の人々にとって、彼が考えたことを、やろうとしたことはあまり関係ない、ということになる。遠くからは褒めるが、身近には感じなくてもいいのだろう。
 ところが、彼が政治思想家でもあるということを認めれば、彼が考えたことは、彼個人にかぎって、あるいは彼が生きていた時代にかぎって、適用されるものではなくなる。政治思想は公のものであり、普通の人々に適用される。ところが、彼の政治思想には我々を不安にする中身がある。その中身から逃走するため、ガンジーを「聖人」にしておいて、その思想を我々凡人とは関係のないものにする、というやり方があるのだ。

ガンジーの政治思想が公のものであったのかなかったのか。そこへの疑問は、いつもつきまとう。ムードだったんだろうな。


<53ページ 第二章 幻の憲法論の全貌 ガンジーマキアヴェリ より>
ガンジーは「インド」という国、または民族の創立者だと思われているが、国家の創立者、あるいはその「君主」になることは、彼の本質に反することだ。前述した二○世紀の国づくりをしたリーダーたちのうち、国家首相にならなかったのはガンジーだけだ。イギリスからインドへの権力委譲が近づいてくると、イギリスにとっては、ガンジーがもっとも重要な交渉相手でありながら、ガンジー自身は生まれつつある新政府から離れていった。
ガンジーは新政府のどのポストにもつかなかったし、憲法作成委員会にも参加しなかった。
独立は近づいていたにもかかわらず。彼は絶望感をよく表現するようになっていた。

インド憲法の草案作成者でネルー内閣の法務大臣であったビームラーオ・アンベードカル氏とガンジーのやりとりについて書いたことがあるのですが、この本を読んで、このときすでにガンジー国民会議に絶望し、「暴力的な断食」に込められた意味について深読みすることすらも意味がないことなのかもしれない、と思いました。


ちなみに前述したリーダーたち(植民地から独立し新国家になった国とそのリーダー)としてあげられていたのは、以下のお名前です。
 トルコのムスタファ・ケマル(アタテュルク)、エジプトのガマール・アブゥン=ナセル、ビルマのウー・ヌー、セネガルのレオボール・セダール・センゴール、インドネシアスカルノ、ケニヤのジョモ・ケンヤッタ、ガーナのクワーメ・エンクルマ、朝鮮民主主義人民共和国金日成ベトナムホー・チ・ミンキューバカストロ


<57ページ 第二章 幻の憲法論の全貌 非協力 より>
 ガンジーは『ヒンドゥー・スワラージ』の中で、どうして人口の少ないイギリスが、圧倒的に人口の多いこのインドを征服し、管理し、支配できるのか、という問題に対して、次のように答えている。
 インドをイギリスが取ったのではなくて、私たちがインドを与えたのです。インドにイギリス人たちが自力で居られたのではなく、私たちがイギリス人たちに居させたのです。──(中略)── イギリス人たちには王国を設ける気持ちはありませんでした。その会社『東インド会社』の人たちを助けたのは誰でしょうか? 会社の人たちの金を見て誘惑されたのは誰でしょうか? 会社の商品を誰が買っていましたか? 歴史は証明しています。私たちこそがそれらすべてをしていました。──(中略)── 私たちがイギリス人たちにインドを与えたように、イギリス人たちのある者は、インドを剣で手に入れたといっていますし、剣で支配できるともいっています。この二つのことは誤りです。インドを支配するのに剣は役立ちません。私たちこそがイギリス人たちを(インドに)引き止めているのです。(第七章)
 つまり、インド人が積極的に協力したときに、初めてイギリスの支配は可能になる、ということだ。

ヨガの、病気に対する考え方に似ています。


<62ページ 第二章 幻の憲法論の全貌 非暴力 より>
サティヤグラヒー(非暴力の運動家)が相手を殺す「権利」を放棄することによって、相手の人を殺す「権利」も奪われることになる。つまり、相手の「正戦」の権利、「正当な暴力」の権利は、こちら側も同じルールによって動いている、という大前提の上に立っている。だから、こちら側でそのルールを認めず、人を殺す権利を放棄し。事実として殺そうとしていない、ということになると、相手の行為は「正戦」ではなく「犯罪行為」に変身する。これは一般兵士に対しても司令部に対しても激しいプレッシャーになり、士気をうんと落とすことにもなりうる。もちろん、インドの歴史でわかるように、サティヤグラハを使えば軍隊は絶対に暴力を使わない、というような保障はまったくない。サティヤグラヒーが殴られたり、撃たれたり、殺されたりしたこともあった。しかしその運動は、デモのような「反対意見を表現する」ものでも、「署名運動」のような「政治に訴える」運動でもなかった。非協力+非暴力運動は、まぎれもない実力行動だった。


(中略)


インド国民会議の他のリーダーたちは)国家を建設した段階になると非暴力はもはや有効ではなくなったので、軍事力のある国家を作った。ガンジーにとっては、非暴力運動の実力的な側面と精神的な側面、倫理的な側面は分けられるものではなかった。そのため、彼は、前述したように、国民会議が暴力国家を建設したとき、心の底から絶望したのだ。

この「まぎれもない実力行動」と、「実力的な側面・精神的な側面・倫理的な側面」というまとまりは、まるでインテグラル・ヨーガの思想のよう。


<65ページ 第二章 幻の憲法論の全貌 ガンジー憲法 より>
 ガンジーの文章の多くは英語で書かれており、全集の中には「コンスティテューション」という言葉が何度も出てくる。しかしそれらは、日本語で普段口にする「憲法」とはかなり違った意味で用いられることもある。そのような言葉の用例を紹介しながら、彼のインド新憲法案に迫ってみよう。


■コンスティテューション1:体質
 一つは、「身体のコンスティテューションと」という言い方だ。
 実は、ガンジーは、健康法に非常にこだわった人である。彼は菜食主義者であり、さまざまな病気の治療法を研究し、それらに関する文章を数多く残した。また、彼は、自分の体だけではなく、周囲の人たちが何を食べ、何を飲んでいるかも大変気にしていた。そういったことに関する文脈で、身体のコンスティテューションという言葉をよく使っている。
 たとえば、「この人のコンスティテューションは弱い、強い」という言い方も出てくるし、また「誰々のコンスティテューショに合う食べ物」とか「菜食主義者になり、野菜だけを食べればコンスティテューションは回復する」といった用例も頻出する。
 つまり、日本語で体質、さらに言うと、身体の構造、健康状態といった文脈で、この言葉を用いている。


■コンスティテューション2:組織の構成
 二つ目は、組織がどのように構成されているのか、といった意味だ。
 たとえば、委員会がどうコンスティテュート(constitute)されているのか、といった使い方がよく出てくる。
 ガンジーは、多様な宗教と文化が混在するインドにおいて、ある組織内ではどのような民族や宗教、または階層、思想が代表されているのか、あるいは、植民地であるインドで、その構成員に支配者のイギリス人が何人、インド人が何人入っているのか、といったことに注意を払っていた。
 一見、前述したコンスティテューション1と異なるようであるが、共通点がある。つまり、身体の場合も組織の場合も、バランスがきちんととれていないと不健康なコンスティテューションになってしまう、ということだ。

この、身体論と組織論に、異常に共感してしまう。


■コンスティテューション4:神の意思
 ガンジーには、次のような発言もある。

トランスヴァールにいるインド人は)世俗的な憲法に対する忠義心を、神様とその憲法に対する忠義心より、次位的なことだと考えている。(全集一○巻 一九九ページ)

「神の憲法」とは、自分の良心に映ったものだ。肝心なのは、「法」が正しいか正しくないかを強化できる基準はそれぞれ個人の中にある、ということだ。結局、世俗的な法と自分の良心との間に矛盾があった場合、前者を破ってでも良心に従うべきだ、という思想が、ここには垣間見える。

心の中の宗教にかなうものはない、とさっぱりあきらめている前提であるところが、政治思想家である以前に、ヨギ。


■コンスティテューション6:革命戦略
 レーニンガンジーも、政府を下から覆すつもりだったことが共通点である。そして、運動の中心的な戦略が非協力だということも、もう一つの共通点である。


(中略)


 ただ、二人の間には大きな違いが二つある。
 一つは、(もちろんのことだが)ガンジーは非協力によって対抗組織を形成することだけで十分としたが、レーニンとその仲間たちは、対抗組織ができたら、それを使った暴力活動、軍事行動を起こさなければならないと考えた。
 もう一つの大きな違いは、レーニンが、革命は国家権力を奪うものだと考えたのに対して、ガンジーの革命とは、国家権力を溶かし、異質の原理でできた違う組織が、国家の替わりに社会の中心になる課程だ。

「権力を溶かす」という表現が印象的。


<82ページ 第二章 幻の憲法論の全貌 社会のボディ(身体)としてのコンスティテューション より>
ガンジーが意味するコンスティテューションには、上からではなく、下から社会に新しい精神を吹き込む、というイメージが含まれている。
 それは、社会の構造 ── 社会のボディ(身体)── を作り直すことでもある。
(中略)
長い間病気だった身体を治す。すなわち、インド人がイギリスの思想と文化・権威を「飲まない」で、さらにイギリスの布と金を「食べない」ようになれば、インド社会は回復し、イギリスからの植民者はインドでの居場所がなくなる、ということだ。

引用した理由の説明は、要りませんね。


<115ページ 第三章 起こったことと、起こらなかったこと 起こったこと より>
 植民地権力が無理矢理ある地域を統一させてから、近代国家の構造を上から被せ込もうとするときによくあることは、その結果としての分裂やエスニック・クレンジング、すなわち、恐ろしい殺し合いである。
 ガンジーは打ちひしがれた。国民会議がインドとパキスタンの分裂を認めたときから、彼は強迫観念のように自分の死のことを話し始めた。

 私が何の罪を犯したからと言って、神様はこのような悲惨さを観察させるために私を生かしているのだろうか。(全集九七巻 四七五ページ より)

もう、国家という身体の内臓の浄化に手をつける前に、ガンジーは生きる気力を失っていた。



これは勝手ななりきり憶測ですが、ガンジーはまず身体の全体感としての浄化のように国家のアウトラインになぞって独立をめざし、各臓器(もしくはそれよりも微細な単位)の位置づけとして不可触民の存在を置いていたのではないだろうか。


もしもガンジー


  不可触民はインド国家身体の主要臓器ではないが、
  それも一部なのです。


と思っていたのなら、ヨギだ。
が、もし、


  不可触民はインド国家身体の
  浄化しようがない部分。
  それも必要な一部なのです。


と思っていたのかな。
結論が出る前に暗殺されてしまったから、そこに答えはない。


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