うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

緊急外来から呼び出されて、一日ゆっくり過ごした

病院
今日は朝に病院から電話があって、父親が路上で倒れて救急車で運ばれ、歩行困難なので迎えに来てほしいとのこと。この時点で予定はいったんまっさらに。もうずいぶん、おどろくとか、ショックとか、そういう感情がなくなっている。
こういうことは初めてではないし、家で倒れて顔面から流血していようが、尿の湖みたいな床の上で全裸で倒れていようが、「またか」という感じだ。罵声がひどい上に倒れた角度がマズくて自分ひとりでは動かせなくて、警察の人に助けてもらったこともある。ひとりでよかったのに、いっぱい男の人が来てびっくりした。


ただひとつ、自分の問題として、すぐ慣れるというのはだめだ。よくなかった。尿も転倒も年齢ではなくアルコールが原因だ。毎週一度、外食の名目で一緒に歩く時間を作ったりしていたけれど、歩行でゆらゆらすることとアルコールの関係を本人が全く関連付けない。「ちょっとしか飲んでない」これが、この病気の人の定番フレーズ。病院へ行ったと嘘をついて、実はいままで一度も行っていないことも発覚済み。
今年の夏に、なにげなく散歩で病院の横を通り、
 「ねえねえ、ここのロビーってきれい? 売店とかあるの?」
 「さあ、知らないなぁ。お父さんは入ってみたことがないから」(あほか!)
ということがあった。


健康診断で異常のないアルコール依存絶好調(あればもっと変わったかも)の父と、年々検査頻度短縮度が早まっておどされているような気分になるわたしの体のバランスは、あきらかに共倒れの状況だろう。ここ何年か、わたしが思考停止してしまっていた。自分の不具合は、観察対象として教材にしている。


わたしが病院についたときには、おでこも縫い終わって、目がつぶれてあしたのジョーみたいな見た目で歩けないだけ(って、あしたのジョー、か)という状態まで治療が終わっていた。先に会計をしてほしいと案内される廊下で、看護婦さんに相談をした。

 

 「父は、アルコール依存症なのですが」
 「ええ、そうですよね」
 「それを認めないのがあの病気で……。もしできれば、それを認識させるチャンスなので、ほかの科・ほかの病院へこの足で向かいたいのですが、紹介してもらえませんか。いまこの(顔面ボコボコ)状態で動けば、自分のことをさすがに認めると思うんです」
 「上司に相談してみます」




この病院に精神科があることを案内板で見ていたので、ダメもとできいてみたのだった。
わたしが会計へ行き、親切な看護婦さんが掛け合ってくれている間、お約束のように尿が垂れ流され、看護婦さんがおむつをあててくれていた。
会計から戻ると、「着替えを買ってきてもらえますか」といわれる。売店では高かったので、衣服をとりに走って帰り、また病院へ行った。



病院が事情をくんでくれた。アルコール依存症の専門ではないのですが、と前置きした上で
 
 「急なので時間はかかりますが、精神科の診療をうけられますので、お待ちください」



父親へはわたしからは言わなかった。「精神科はエレベーターで上に……」という看護婦さんの案内を聞いて、「まだ帰れないのか? なんなんだ?」「お話をきくだけですよ〜(看護婦さん)」という流れがあったときに、ああやっぱり無駄足かもなぁ、とすこし思った。



なんというか、父親にとっては無駄足だったが、わたしにとっては無駄足ではなかった、というようなことになった。
じっくりと生い立ちからこうなるまでのヒアリングと、脳への影響、眼球挙動の簡単なテストをしてくれる。
わたしはたまに、父親がはっきりと話さないときに、質問に答えたりした。
わたしにバトンがきて「わたしも、そこはよく知りません」と答えたら
「娘さんが知らないというのは、おかしいですね」といわれて、
父母両サイドの話で混乱していたところを、切り分けて話した。
父親は、おどろくほど人のことを悪く言わない。
本当は家の居心地が悪いこともあっただろうと思っているのだけど、そういう愚痴を聞いたことがない。
わたしの知らないディテールがたくさん出てきて、逆に父親が不美徳とすることがどういうことなのかも、わかった。人のせいにしないで闘おうとしすぎなんだよ。
「なんで娘さんを頼りにしようと思ったんですか」との問いに
「娘が正月に帰ってきて、わたしの作った雑煮を "おいしい!" と言ったのを聞いて、こういうことがあれば、頑張れそうだと思った」と言われたときは胸が苦しくなったが、実際それができる打率はなめらかに下がり、なにも癒えていない。一時的なカンフル剤にしかならなかった。
酒量が明らかに異常であることを指摘してくれるのだけど、父は「いや昔に比べれば」の繰り返し。



お医者さんは、元来そういう性質は持っていないのではないかという。仕事に熱中してきた人ほど、そうなると。この点はわたしもまったく同意。ヒアリングの時点で「あ、そこの流れや種を聞いているんだな」というのがわかった。




年齢を聞かれて、最後は、わたし向けの病院を教えられた。
メモしようとしたら、父に「お父さんが出て行くから、お前はメモしなくていい」といわれた。
ちょうど別居の話をしたばかりだった。
わたしが、椅子や家具にしみついた父の尿の臭いを、自分の体調がよくないための臭いと思って、原因がわかるまで幻覚ならぬ幻臭に包まれて、まあひとことでいうと、「おかしくなってきていた」。運動後の汗が乾いた臭いと似てるんですよね。




(わたしへ)
「面倒見のいい人が、
 ほんとうにぎりぎりになって、
 なにも手をつけられない状態になってしまってから、
 もうだめだ、と手放す人をたくさんみてきています」


(父へ)
「大切な人が離れていっても、
 しょうがないですよ。
 アルコールが原因なんですよ。
 わかりますか?」



いい流れなんだけど



「じゃぁ〜、やめようかなぁ。お父さんやめられるかなぁ(なぜここで陽気)」



このあとちらっとお医者さんが治療の話をしたら
「そんな、お酒を飲むと苦しくなる薬があるんですかぁ〜☆」(←短絡的)
「でもすごく、苦しくなるんですよ(お医者さん)」
「すぐに薬に飛びつくのはよくないよ(わたし)」



という具合で、父親はわたしといることよりは、
すごくさみしいと言いつつも、酒はやめたくないという気持ちのほうが強い。
まあ、酒には口がないからね。
こういう反転はよくある会話なのだけど、
「やっぱり知っている土地で気楽に暮らしたいんだ」と言う。
貸してくれる物件があればだが、父はそのために動き、別居へ向かう。
わたしはもともと月末からすこし東京を離れる予定があったので、その期間と重ねて、向かう。
積極的別居。



父は明らかに生活能力がないので、一般的には見捨てたということになるのだけど、
今日の警告は
「生活能力はないが生命力がある人間に、生活能力のある人間の生命力が奪われること」
への指摘もあった。
見た感じ、父親の寿命はもう長くないんじゃないかなぁと思っているのだけど、わたしが明るく「なかなか死なない(笑)」とか言いながら一緒に過ごせるバランスを超えてしまった。




イスラームだったら、圧倒的に減る困難なんだけどな」
わたしがイスラームの共同体や法にあんなに興味を持つのは、こういう背景がある。
「酒飲み全員ダメ人間」としてくれたらいいのに、と思っちゃう。
ブッダは、「年老いた親の面倒を見る力があるのに放っておくのは、ひどいこと」という。
アッラー並に細かく(ただし相手がこういう場合はやらなくてよろしい)と書いておいて欲しかったな。やっぱり新しい宗教はサービス粒度が細かい。





いろいろなことを思って、さすがに疲れた。
家に帰ってから、気分転換に料理などしてみる。




いっこピーマンが腐ってた! と思ったら……



イモムシが出てきたぁ〜 にょろ〜 すごい勢い
すごい勢いで食ってたとこ、じゃましてしまったな。



まあでも分断されない角度でにょろにょろしててくれて、よかったわ。
同じ色だから食べてたかもしれない。まあ食べてもよいのだが。





食事の後は、なかなかこんなことはないので、尿意のたびにトイレ稽古。

「あと1メートル、こらえてっ!」



手を引いてガイドすれば、バンダできるんだよなぁ。
要するに、穢れてる(気が枯れている)のだ。
それとともに身体が枯れていくのは、人間という生き物のしくみなんだな。





結局は、今日お医者さんがいっていたこの言葉に尽きる。




「自分の責任は、自分しかとれないんですよ」




傍聴でよく聞くフレーズだなぁ、と思っていたら



「この先どうなるか、わかりますか。
お酒を買うお金がなければ、盗みをはたらいたり
犯罪をおかす人も、いるんですよ。
そういうものなんです」



ときた。わぁ。



ひとまず、わたしがその気になれたらいっしょに頑張ればいいということにして、いまは地元のやさしい人の力を借りることにした。そういう人が、いてくれるうちに。いったん親族という呪縛から自分の気持ちを解放して、他人にも甘えてみる。
案件は違うけど状況は似ているということ、ありますよね。「親族全員立派でまとも」なんてひとは、いないでしょう。経験がないとすごく大変そうに思われるのだけど、なにかこういう状況があると、「自分の未来をいちいち大げさに考えない」ようになりませんか。ボヤき上手になることも大切だな、なんてこともよく考えます。
「傷は、外からじゃ癒えない」というのもよく感じます。本人が自分で癒やそうとするところまでいけるか、なんじゃないかな。「癒やします」ではなくて「癒やすことの背中を押します」みたいな感じじゃないと、「うそーん。こわいー」と思う。



だからたぶん、気づきとしては、わるいことばかりではないんです。
ないほうがいいにこしたことはないのですが、「あるよね〜」という感じなんですよね。