うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する  山本圭 著

おもしろい本でした。

なんかこんな感じで。

 

 

 Aさん:平等になったら、条件が一緒になったら、人は嫉妬をしなくなるだろうか。

 

 Bさん:いやー、するよね。もっと細かな差を探す展開になるんじゃない?

 

 Aさん:少し差のある状態で多様性をもたせながら、優位性を認識した人がそのぶん自虐もしてマイナスアピールをして帳尻合わせをするってのはどう?

 

 Bさん:プルタルコス方式ね。だけど近頃は "自虐は自尊心を自分で傷つける行為だ" 、みたいなことを言う人が出てくるんだよね。

 

 Aさん:計算してやってるのに? そりゃ新しい嫉妬だね。

 

 Bさん:嫉妬ってアップデートされるんだよね。

 

 Aさん:めんどくせーなー。

 

 Bさん:めんどくせーぞー。

 

 

     *   *   *

 

 

というようなことを、哲学者の言葉を引用しながら延々掘り下げていくおもしろい本でした。

 

 

わたしの好きなプルタルコスデイヴィッド・ヒュームが登場します。なかでもヒュームの見かたを著者が以下のように整理されているところがおもしろくて。

 つまり優位者は、最初、劣位者との比較から快楽を受け取るが、しかし劣位者の相対的な上昇は優位者の快楽を減じてしまうため、これを不快に感じるのである。だとすると厳密には、優位者の比較の対象は劣位者というよりも、より大きな快楽を享受していたかつての自分自身ということになるだろう。過去の自分との比較が、嫉妬者の不安や不快感を増幅するのである。

(劣位者への嫉妬 ── デイヴィッド・ヒューム より)

そう。嫉妬って、過去の自分にも向けられる。

わたしはヨガにハマって短期間で鍛えてそこからこだわりが強くなって離れていく人の理由をこれだと思っています。

 

 

この他にも、わたしがヨーガ・スートラの解説書で知った話が「スロヴェニアの農夫の物語」として紹介されていて(第8章「苦しみのベール」で読んだことがありました)、シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカール氏の解説するヨガの教えは「嫉妬」を扱っているからおもしろいんだ・・・ということに気がつきました。

 

 別の大きな発見もありました。

この本をきっかけに様々な思想家・哲学者・精神分析家の見解を読みながら、ジャン=ジャック・ルソーってこんなこと唱えてたんだ! と。ルソーの論じた以下が引用紹介されていました。

 自尊心(amour-propre)と自己愛(amour de soi-meme)とを混同してはならない。この二つの情念はその性質からいってもその効果からいっても非常にちがったものである。

自己愛は一つの自然的な感情であって、これがすべての動物をその自己保存に注意させ、また、人間においては理性によって導かれ憐れみによって変容されて、人間愛と美徳とを生み出すのである。自尊心は社会のなかで生れる相対的で、人為的な感情にすぎず、それは各個人に自己を他の誰よりも重んじるようにしむけ、人々に互いに行なうあらゆる悪を思いつかせるとともに、名誉の真の源泉なのである。

<ルソー『人間不平等起源論』本田喜代治:平岡昇訳、岩波文庫1933年、181頁>

わたし自身は感情について、自然と人為を分けずに「人為的なのも含めて自然」と思っているけど、上記の論を重ねると理解しやすくなることがありました。

 

イギリスがインドを支配する際に転がしたハートはインド人の自尊心で、スワミ・ヴィヴェーカーナンダやガンディーが目覚めさせたハートは自己愛であったと、このルソーの見解を借用しながら読み取ると、インド独立までの人間の心の歴史が理解しやすくなります。

(ルソーはフランス革命に影響を与える思想を唱えた人物といわれています)

 

 

 *  *  *

 

 

みなさんは身近な人と「嫉妬」について話すことはありますか?

わたしは小さなことから大きなことまで、嫉妬についてよく話す友人がひとりいます。

その人と一緒に「これはどういう流れで生まれる嫉妬だろう」という分解をします。冒頭のAさんBさんのように話します。

嫉妬というのは感情の中でも格別に嫌われるゴキブリのような存在で、反射的に “ないもの” にしたくなるパワーがあり、ひとりで立ち向かうのは大変です。

常々そう考えてきたので、この本を興味深く読みました。