なんかここ数年、フェミニズムの主張を日常的に受け取るのがしんどい。そんなことを身近な人と話す機会が増えています。
若い頃に “そういうものだ” と思って頑張るか蹴散らすか諦めるかの三択でやってきて、「頑張る」を選択した際には、権力を持った悪魔的な人に気づかれないように距離をとる。真実を語ることがセキュリティ面でいかに不合理か。
そのセキュリティ面については、決して反対側から語られない。ずっとそう思ってきました。だけどそれを語ろうとした人が、なんといたのでした。
このおぢさんは初期設定としてある男性の罪悪感を、いまさら掘り返して狂います。
身体面で合理的にデザインされた環境で正気を保ってきた男性が、いざ大人になって結婚したあとで妻に嫉妬の感情を抱く権利があってよいものだろうか。これは圧倒的な不平等ではないかと気づいてしまう。
自ら設定を問い、狂っていきます。
* * *
でね。
これが重い話かといえばそんなことはなく、出だしがおもしろくてびっくりします。
序盤は上滑りしたディスカッションからはじまります。鉄道で乗り合わせた乗客同士が愛と結婚について意見を交わします。
いるいる、こういう人。日本にもいるよ~。と思いながら会話を追うことになります。
そしてわたしがここで女性の自己主張にモヤモヤするのは、それが男社会がなければ成り立たない “ただの怒り“ だったからで、まさにそれが、昨今わたしの周囲の人々が疲労している、選別しなければならないフェミニズムだったりして。
トルストイは畑を耕して、いったん土を柔らかくしてから種まきをします。
そして女性の存在と結婚を、こう定義します。
短期型の売春婦は通例軽蔑され、長期型の売春婦は尊敬される
これは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダが『生きる秘訣』で以下のように語っていた命題とまったく同じです。
私は街頭をウロつく夜の女を冷笑しなければならない。なぜなら社会がそうしろと要求するからだ! 彼女は私の救い主、彼女が街頭をウロつくのは他の婦人の純潔の原因である。それを思え。男も女も、あなたの心の中で、この問題を思え。それは一つの真理だ ── 露骨な、率直な真理だ!
トルストイはこの問題に取り組んだ。
すごいおぢさん。さすがヒゲの量が多いだけある。
この本は重く読めば重いけれど、わたしは軽く読みました。
この物語の主人公の男性は、男性絶対優遇の社会に居なければ、武者小路実篤の『お目出たき人』に出てくる主人公のような可愛らしい心の持ち主だったかもしれないから。
ロシアには長期型の売春婦設定もこなしながら明るくボヤく上沼恵美ちゃんのような饒舌な女性がいないのかしら・・・なんて、キリスト教社会の息苦しさを想像しながら読むと、日本の物語では見られない、新たな思考が広がります。
やっとトルストイの読み方を学習できてきたかも。
同じ本に収録されていた『イワン・イリイチの死』も名作です。