うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

潜在的に抱いていたアジェンダを乗せないように気をつけること

現代でもこんなことが起こるんだと驚くような流れで始まった戦争をきっかけに、国際機構の多さと複雑さ、世界が情報で繋がった時代の民衆の反応を巻き込んでの駆け引きという展開。
そしてその前には世界規模の疫病対策、そんななかで開催されたオリンピック。たった2年の間のことと思えない。それはそれとして日々は回る。楽観主義も注入していかなければ、どうにも回らない。

 


思考がキャパ・オーバーしてしまうときは、世間でインパクトの大きなことが起こっていてもいなくても流れは同じで

  1. 物事を単純化させ
  2. コンディションがよくない時にはそこに潜在的に抱いていた個人的なアジェンダをちゃっかり乗せ
  3. 主語を大きくして漠然となにかに参加した気になろうとする
  4. そこから思考がもつれていく


世間に “参加していないことはない” という状態に自己のありかを無理やりもっていこうとすると、そこからリズムが崩れていきます。
これは、わたしの過去の思考パターンから見えたこと。
私憤か義憤かを分解しないままの思いつきはほんとうに無駄で、帰属意識が満たされない状態を棚上げしたまま行われるひとり相撲(自分自身に対する自己アピール)は、自己の土台のなさを無視したまま漠然と進み、時間はいくらでも過ぎていきます。


瞑想でわかることって、こういうことです。だから多くの人は「瞑想ができない」と言うのでしょう。わたしの経験からの推測で、そう思います。

 

 

潜在的に抱いていた個人的なアジェンダ” は実に厄介で、いってみれば妄想(記憶を材料にしたクッキング)でしかないのですが、こういうことにヨーガの心理学ではいちいち名前をつけ、とことん語り尽くしています。
これがほんとうにありがたい。助かる。いやほんとまじで助かりますわと、毎朝聖典を読みながら(ここ一年ほど『ヨーガ・ヴァーシシュタ』を読んでいます)思っています。これがいまのわたしの学びかた。

 


いま感情を引っ張られている方向と逆の事実・事象・情報があとから出てきたときに、心の中で雑に振り上げた拳を降ろせるか。こういうシミュレーションをしながら、自分が大切にしたい信条はなにかを考える。
聖典はそれを助けてくれます。

 


***

 


さて。ここからは回想です。
話は全く変わります。

 


2001年に、9.11がありました。

そのテロは勤務時間中に起こり、衝撃のニュースを職場の仲間と一緒に知りました。
そのときわたしは自然に「こういうことって、やっぱり起こったりするんだよな」と思いました。この推察は、社会感情(メディアの論調)とだいぶ違っていました。

このとき漠然と、自分の自然感情を理解する方法がないと、この先の自分の精神が危うくなるだろうと感じました。社会にフィットしなくなる危険性のようなものを仲介する何かが必要な気がしました。正直に湧き上がる思考を客観視する方法論が必要な気がしました。

そのきっかけのひとつとして、9.11を強く記憶しています。ここまでは社会生活の回想です。

 

 

回想は続きます。ここからは、個人生活の回想です。

9.11のあった年の翌年、わたしははじめてインドへ行きました。
英語版のオンラインチャットアプリでインド人と仲良くなり、おいでよと言われたので行きました。その人とはそれまでに一年以上、文字だけでしたが、たくさん話していました。もともとインドに興味を持っていた母にそれを伝えたら、自分も行ってみたいというので母も連れて行きました。
当時わたしはインドにもヨガにもそんなに興味がなく、ただインターネットで世界が繋がり、友人ができたことを楽しんでいました。母だけがインドでヨガをし、わたしは見ているだけでした。
インドのヨガの先生と母が言葉をほとんど交わさず一緒に同じ動きをするのを見て、ヨガがコミュニケーションの媒介になることを知りました。

 

その旅行期間中、わたしたちは友人宅に居ながら、いろいろな生活・儀式・祈りを見ました。不思議な生活をする人たちだなと思いました。
なぜそこでそれを……と思う行為を「こうやるものなんだよー」と笑顔で見せてくれる人たちの中にあるものが、自分にはない。それを強く感じました。
愛国心とはちょっと違うもの。伝統と習慣の間にあるもの。
あたりまえの共通認識が日々の儀式のなかで毎日耕されている。家族・親族・近所の人が、とても近くて親密な感じ。儀式の担うコミュニケーションの役割の大きさを感じました。

 

 

あれから20年以上が過ぎました。

今現在のわたしは、9.11のときよりも自分の正直な視点を身近な人に話せるようになっています。自分が変わっただけでなく、人間関係のありかたも変化しています。
戦争が始まって数週間が過ぎた3月に、かつてロシアやジョージアを旅してきた友人と会ったときにも、わたしの視点を話しました。先に仕掛けた側が「今ならいけるだろ」と思った背景・かねてよりの目的が知りたいと話したら、それについて書かれている記事があるよと教えてくれました。

自然に自分の思いを話すために必要なことが、やっとわかりはじめた。9.11のときに感じた社会との乖離の解消方法を探すことをやめずに続けてきてよかったと、そう思いました。わたしはそれまで、自分の言葉を持っていなかったのでした。

識字もするし言葉も話せるから読み書き発話はできるけれど、自分の言葉を持ちはじめたのは、ここ数年のことです。世の中に大きな変化があると、こういうことに気づきます。

 

変化のときにも潜在的に抱いていたアジェンダを乗せないように気をつけている人を見ると、徳の高さを感じます。