うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

タイタニック号で行くか、手漕ぎボートで行くか、素手で泳いで行くか

ここ1か月の間に、若いヨガ仲間ふたりと、それぞれ「仕事と生きかた」の話をする機会がありました。
ヨガ的な考え方というのは、はじめのころは "こうありたい" という思いで進めているつもりでも、身体のほうの練習を続けていくうちに、身体感覚から行動や思考に侵食していくものが大きくなる。そういうもの。自分の体重(=存在)をいろいろな部位・角度で支えて感じる(=方法を試す)、そういうこと何度もやって、できた・できなかった・できるようになった・その再現性のアップダウンを繰り返すことで、頭の中で散らかっている意識が時間をかけて統合されていく。自分の固定観念が解きほぐされていく。いまは以前よりも少し大きな単位でふり返ることができるようになって、自分の中から出てくる言葉も変わってきました。
そんなこともあり、いまこの人は自分のこれまでの練習と人生を重ねながら考えているな…と思ったときには、今日書くような話をしています。一緒に練習をして動きを見せてもらうことで、身体を使って話してもらったような、そんな気がして自然に話したくなることが、たまーにあるのです。
今日は、前向きに苦悩するヤングなヨガ練習仲間に話した内容に少し背景補足を加えて書きます。


わたしは20代の頃から、いまふうにいうと「40歳定年説」みたいなのを漠然とイメージしていました。0か100かのような、そういう考え方に陥らないために、自分ではたらき方をコントロールできるようになっていないと精神的にきつくなるだろうな…と想像していました。
会社組織に限らず、家庭・学校・スポーツのチームなど、これまで経験してきたさまざまな所属の中で、ほかの人のようにボスや組織・クライアントへの忠誠心をうまくコントロールし続けられない自分の内面の不器用さのようなものを自覚していました。それをムードとノリ(あるいは道徳観)でカバーしていくことへの限界を意識していました。40歳を過ぎたら、さすがに表面的な方法で逃げたりごまかしたりするのもしんどかろうという、そんなデッドラインを漠然と想像していました。


20代のなかば頃に、2年ほど固定クライアントに囲われる形でのフリーランス経験がありました。そのとき、こういうはたらき方があるのか! と思いつつ、結局このクライアントに嫌われたらおしまいってこと? ということもありありと身に染みて感じ、そのときにいろいろ考えました。「関係」と同じくらい、「内容」で使ってもらえる人間になるにはどうしたらよいのだろう…と悩みました。


そのあとビット・バレーなんて単語が生まれた時代に渋谷にあったベンチャー企業での勤務を経て、人数の多い会社に10年以上所属しました。そうしたらそうしたで、いざとなったときに自分の力で泳げなくなるのではないかという不安を感じるようになりました。筋肉の衰えを感じるのに似た不安です。安定している環境のほうが不安になる人も、世の中にはいるのです。というか、けっこう多いことをあとで知りました。


この感じをわたしは「タイタニック号(所属組織の給与所得で暮らしを立てる)」「手漕ぎボート(部分自営業)」「素手で泳ぐ(自営業)」という感覚でとらえています。
社会の海へ漕ぎだす方法を自分でどうしたいか、そんなふうに自問自答しながら生活するようになったら、少し気持ちがラクになりました。社会とのかかわりに直接的な手触りがあるほうが安心するという人も、世の中にはいるのです。というか、けっこう多いことをあとで知りました。

  • タイタニック号は、乗る資格を得たら一定の快適さを享受できます。進みかたや行き先は、自分でだけで決めることはありません。
  • 手漕ぎボートは、海の波の高さや風の強さを感じながら、場合によっては中断して好天候を待つようなことも自分で決めます。
  • 素手で泳ぐには、ワイルドセンスも必要になります。実践で鍛えてなんぼ。できたら、かっこいいなと思う存在。


たまたまわかりやすい3つを例にしましたが、いかだ&モーター、サーフボード&オール、自分のカヌーに4人乗ってもらう、ビート板&足ひれ、いただきものの新型ボート(雇われ社長ですね)などなど、自力と協力の組み合わせのバリエーションは無限。正社員・契約社員・派遣・業務委託・案件受注・常駐コミット・時給コミット etc いまの時代は、意志と商材(になる技術)さえあれば、これらを自分で組み合わせることができます。
むずかしいのは「意志×商材」の商材だけでは何も起こらないこと。技術も資格も商材ですが、商材集めは簡単なものからあり、いずれにしても意志を発動させなければなりません。むずかしいのは意志と自分の心根の関係のつくりかた。そこに向き合うのがしんどいのだということ。



わたしはいまの実感としてそんなふうに思うことがあるので、「べつにタイタニック号に乗ることだけが海を渡る手段じゃないのだし、だいじょうぶだよ」という話をします。ヤングに対しては、それだけ若けりゃ飛行機だって気球だって選べるかもよ。まだまだ、なんだってできるよと思います。
(わたしは "あと20年生きるなら畳職人とか、目指せるのかな…" なんて考えることがあります。なぜ畳なのかはわからないのですが、いまより大きなものをさばけるようになりたいと思うことがあります←身体がやりたがっている。ヨガマットじゃ足りないみたい)