あまりにも現実っぽくて、実録ドキュメンタリーのよう。
小さなペーパーバックの「100min NOVELLA」というシリーズ。ほんとうに100分で読めちゃった。
山内マリコさんの小説を初めて読んだときに衝撃を受けた『ここは退屈迎えに来て』の感情記憶と同じ色の液体が一気に脳内で解凍されながら、起こっていることはちゃんと現代版。
『逃亡するガール』にも、土地の因習の苦しみが現在の時代感覚でぎゅっと濃縮されていました。舞台は富山県。隣の新潟県で生まれ育ったわたしにも、全てのセリフがストライク。
このページ数でこの疾走感でこれだけの粒度の現実を見せてくるのは、お見事としか言いようがありません。
家に落ち着ける場所はなくても、外に一瞬どこか落ち着ける場所を見つけていくガッツが、若いうちはまだある。そしてその居場所もまた奪われるのだけど、この繰り返しから次へ向かうパワーが生まれる。
落ち着きたい! だから地元を離れる? どうしよう。
なんだかおかしなことだけど、それが正解と感じる。
タイムリミットは迫る。
とにかく今は逃亡しよう!
それができるのが、物語。フィクションの力。だけどマインド的に全然フィクションじゃない。
この小説の中で逃亡するガールズの逃亡歴を追いながら、心がぎゅうぎゅうとマッサージされ、最後は心がすっかり揉みほぐされて元気が出ちゃった。
100分のマッサージメニューで、これはお得。お得すぎます。
この物語は、『あのこは貴族』で、上京する女性が “都会の養分” と書かれていた、その養分の手前の物語。
そもそも養分にはまだなりたくない高校生。
そりゃそうだよね。「まだ」という発想が、そもそもヤバい。
そのヤバさを明るくポップにあぶり出す。固有名詞の使い方がいちいち最適。
勉強に打ち込む心理描写も精妙。頑張ってるんじゃなくて、勉強に逃亡してる。
「逃亡するガール」は、毎日逃亡してる。
置かれる場所に咲くスペースがない場合はどうすんのさ、という現実的な問いにひとまず今日、水を与えてくれる。そんな感じで心がほぐれる。元気になれる小説でした。