うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

報道が報酬になる国で


先日、フランスから帰国中の友人と『「見て見て〜」のあとが、「すごいね〜」ではない国で』という話をした内容を書きましたが、ほかにもこの日はわたしがかねてより気になっていたことを教えてもらいました。
わたしは9年前にパリで彼女と話した、メディアの報道スタンスのことがずっと気になっていました。パリは行ってみると大人と子どもが過ごすエリアが暗黙のルールのように分かれていて、カフェには子どもがいなくて50〜60代に見えるおじさんおばさんが会話の合間にチュッ☆なんてしています。オープンですが、そこは大人の空間です。
このときにいろいろ、子どもの居る場・居ない場・子どもに見せるもの・見せないものの話をしました。その時の話を踏まえつつ、書きます。友人はユミコさんといいます。


うちこ:前にユミコちゃんがパリで言ってた「ここでは少年犯罪をテレビで日本みたいに報道しない。アイデアを与えるから」ってのを、あのあともよく思い出すんだ。ISの若者のテロとかああいうのは、どういう報道のされ方なの?

ユミコ:犯人の出身校とか出身地とか、報道するのはやめよう、みたいになってきてる。風潮としてね。

うちこ:(この時わたしは、その関係者が責められるからだと思いながら)やっぱり。

ユミコ:報道すると、調子に乗るからね。

うちこ:へ? 調子に乗る?

ユミコ:名前やプロフィールが世に出て、犯人としては「やった!」ってなるから。目立ちたい人を喜ばせることになる。

うちこ:そっち?!


わたしはこれ、ほんとに「そっち?!」ってなったんですよね…。知られることが、それがどんな理由であれ報酬である感覚というのを、概念として共有して議論している。この感覚は、わたしの身近にはないなぁと思って。
リアクションをすることがストーカーには報酬になる、みたいな話と似ているのかしら…。



 かまうと増長する



ものすごく冷静に考えれば「そりゃそうだ」なんだけど、「いちおう反応することが礼儀」みたいな環境で暮らしていると、忘れてしまう。「反応は報酬」っていう概念が抜け落ちてる。
でもアジア旅行中に売り子にあえば、ふつうに「長く見てると買うと思われる」「反応は報酬の気配。期待させてはいけない」ということに気を配っている。これは、パリのほうの感覚だろう。
日本に戻ってくると、いつの間にか逆のスイッチを入れ直しているみたいなところがあるんだよなぁ。なんでだろ…。たぶんこれが順応するということなのだろう。