うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

なぜかずっと好きなものをしつこく分解すると、大切にしたい信条が見つかる

あなたには、子どもの頃からずっと好きなものはありますか?
もはやこれは信仰ではないかと思うくらいに気がつくと想起する、目にすると反応せずにはいられない、耳にすればウキッとする、そういうものはありませんか? 40歳を過ぎても好きとなると、そりゃそうとうなものです。
こういうものについて自分でその対象への反応をコントロールできない前提で観察すると、心根のところで大切にしたいことが見つかる場合があります。
わたしの場合でいうと、昔のテレビドラマの西遊記。つい見ちゃう。食い入っちゃう。中毒。好きの理由をあげればきりがありません。

  • 音楽がいい
  • 衣装がいい
  • ナレーションがいい
  • 脚本(コント)がおもしろい
  • 中国の景色がいい
  • 三蔵法師が美形なのがいい
  • 弟子たちがみんないい
  • アクションがいい
  • 妖術を使えるのがいい
  • 悪役の妖怪もかっこいいのがいい

                etc…

 


それぞれの回(ゲスト俳優もすてき)のよさを挙げれば、さらにきりがありません。
そしてヨガをはじめて数年たってから、大切なことに気がつきました。

 

 

 改心のチャンスを得る話だからいい

 

 

最後は悪役の妖怪たちが般若心経で救われる。
わたしは子どもの頃、間違いをおかした後の居心地の悪さをこのドラマによって中和してもらっていたのじゃないか。
このことに気づくきっかけはこれまでにいくつもあったけれど、2019年の夏に近所の盆踊りで久しぶりに聴いた「アラレちゃん音頭」の歌詞に大きなヒントがありました。
「これもだっ!」と思うフレーズを耳にして、棒立ちになりました。

 

 

 めちゃんこ めちゃんこ めっちゃーんこー


 あーられおんどで んーちゃちゃっちゃー

 

 

で始まるあれ。
この歌詞の中に

 

 

 は~あぁ~

 べっくらこーいたーあ おこらりちゃーったー

 ほよよでホイ♪

 

 

という歌詞があって、ブタさんや友だちと騒いだら怒られたって話なんですが、この「ほよよでホイ♪」の救いったら!
子どもの頃って、なんでそんなに急に怒られるのかわからないことがたくさんあって、自分なりにその都度立ち直っているのだけれどもバッドカルマを積んだ感みたいなのは確実にあって、その「積んだ」をどうやって消せばいいのかわからない。
「ごめんなさい」という言葉も申し訳なさそうにする態度も結局のところ「子どもしぐさ」でしかないって、自分でもわかっていたんですよね。ものごとの道理をわかっているわけではないから、心は混乱したまま。そういうものを抱えながら、それはさておき身体は育っていく。大きくなる。大人になる。
わたしはアラレ時代以降も断続的に西遊記を何度も見続けていて、あれはカルマの浄化の話として惹かれていたのだということに30代後半になってから気がつきました。

 

 

話があっちこっちへ行きましたが、わたしは「行為」で復活できる前提の西遊記が好きです。
昨年は新しいことにチャレンジしはじめた人から「大人になってから怒られるのって、凹むんですよね…」というお話を複数うかがって、今年はわたしも同じような転機を予定しています。だから、凹みながらもそんな自分から逃げずに日々をこなしている人の存在がありがたい。
「べっくらこーいたー」の衝撃に対しては「ほよよでホイ♪」のクッションで受け止めて、自分で自分を癒やしてほぐして、また歩きだす。人生は、ほよよの連続ですものね。

 

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