まえにふくらはぎカルマ論というのを書いたら、マッサージの仕事をしている人とふくらはぎ談義になりました。
彼女が普段の仕事でさまざまな人の脚に触れるなか「うんともすんとも意志も反応もない脚の人が一定数いる」という話がとても興味深く、わたしの脚はどうかということになり、彼女がふくらはぎにフォーカスして構成したマッサージのメニューをやってもらうことに。
わたしの場合は人には触れないので、ヨガのアーサナを言葉でナビゲートする中での研究ですが、このアーサナでこういう反応をするというのは体感的な統計があります。「カッコ当社比」みたいなもの。
この日はとにかくしゃべくりマッサージ。
うちこ:うわ痛い、今のなに?
もみ師:三里ですー
(わたしはわりと、元気に痛がる人間です)
うちこ:ギャーこれプールヴォッターナーサナで2割くらいの人がズッキーンとくるところだね、これなに?
もみ師:三陰交ですねー。婦人科系のツボです。プールボッタナアーサナってのは……
うちこ:脚を閉じて手のひら床押して、つま先床つけてうしろ見るやつ。パスチモッターナーサナ(前屈)のあとにやるやつだよ。
もみ師:あー、はいはい
(参考)これです
そういえば、たまに「うわズッキーンきた」と言っている人は、女性ばかりだなぁ。男性は肩の内側が開きにくくて持ち上げるのに難儀している人のほうが多いかも。それにしてもこのズッキーン、痛いんだよなぁ。
同じことが、
これでも起こる。
脚の骨が触れ合うところにタオルを挟まないと、痛すぎて泣ける。
この日はほかにも発見がいっぱいだったのだけど、彼女も発見が多かったそうだ。
わたしは池袋の均整法でも同じ事を言われるのですが、手を入れるとすぐ反応が出始めてしまうので(まあ、いいことらしいのだが)、左足をやっている間に右もほぐれはじめてしまう。はじめるまえに左足のほうに多くむくみが出ていたので、彼女はわたしの右足を楽しみにしていたらしいのだけど、右を始めたら「あら、もうだいぶ温まっちゃってますねぇ」と
もみ師:なんと言ったらいいんだろうなぁ、この、右足のほうが左足に比べて、筋肉も張りもあるんだけど
うちこ:右にノウハウが詰まってるでしょ。説明してるとき、気づくといつも右のほうにむずかしい仕事をさせているの。
もみ師:そう! そういう感じ。左足のほうが、怠け者ちゃん、というか……
と、型にはめない雑談が楽しい。
痛がり体質で賢い右足をもつわたしは、右足のマッサージにちょっとツボを外したりしていた。
もみ師:あれいま、ここ痛くないですか。痛いはずなんだけどな
うちこ:うん。めちゃくちゃ痛いからいま足首で角度ずらしてる
もみ師:うわっ! いつの間に。だめです。もう。これは、この角度でいてください
うちこ:それはマッサージ師がちゃんと管理するとこなんじゃないのー。アップワード・ドッグに移行した瞬間に、カマ足にして回避しようとする癖と同じテクニックだもん
もみ師:そうだ。これはわたしの仕事だ
うちこ:わたしがズルをしないように、おさえておいて〜
がはは〜
と。
彼女はアーサナの名前もわたしの特有な指導用語もよく知ってくれているので、いろいろ話が早くておもしろかった。彼女いわく、「意志する人」とそうでない人のふくらはぎはぜんぜん違うそうです。
もまれたわたしのほうは直後に快便スイッチが入り、翌日もすごく喉が渇いた。尿の色はそんなに濃くならなかった。「押すところは押します」という彼女のポリシーに身を任せて身悶えていたので翌日の筋肉痛のような反応を心配されていたけど、そういうのは全くない。わたしは3日に1日はお風呂でかなりふくらはぎをほぐしているのだけど(参考)、やっぱり第三者からちゃんとした角度で(関節の角度も含めて)押してもらうと「軽さ」がぜんぜん違う。
すでに依存症になりそうな気持ちよさを感じているのだけど、彼女とはもともと「主体的に意識的に自分で考えて動ける人が、さまざまな状況でよろめきそうなときに、癒されるのではなく立て直されるようなアプローチを」というコンセプトで研究をすすめていこうとしています。
かなり戦略的にアプローチを考えるなか、最後に驚いたのは
そうだ。「やる気」のベクトルがねじれたり固まったときの問題に必要なアプローチは、これなんだ。
ふくらはぎ、おもしろいなぁ。