うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

14歳の君へ どう考えどう生きるか 池田晶子 著


これは「知のジュエリー12ヶ月」のように中学生向けに書かれた本ですが、親の世代がまず読んだほうがよい内容といえるかも。
14歳向けに書く語調やトーンに強調の効果が生まれていて、引き込まれます。夏目漱石の「三四郎」に出てくる広田先生のような言葉が現代語で飛び出す。
実際は「中学生に観念や幻想をやさしく教えてくれる先生」ということになるはずの著者さんなのだけど、「もしも広田先生が現代日本の美人に憑依したら」「もしもシャンカラ現代日本の美人に憑依したら」という幻想の中に連れ込まれるほど、哲学の本として骨太。
なのに、日常会話のように語り掛けてくれる。こんなにありがたい本はない。

<83ページ 「社会」より>
お金を稼いで生活するために、大勢の人間の集まりの中に、出てゆかなければならないんだ。人間嫌いの君は、さあどうしよう!

14歳向けのトーンです。文章は。


<170ページ 「幸福」より>
ちょっとひねくれて、僕はべつに不幸でもいいよ、なんて言ってる君、不幸を求めるという仕方で、やっぱり自分は幸福を求めているということに気がつかないか。

気がつけるかなぁ、14歳。


<175ページ 「幸福」より>
 自分を認め、他人をねたまず、何かを誰のせいにもしない。すべてそのまま受け容れる。そういう心が、不幸ではない幸福な心だ。人は心で不幸になっている、自分で自分を不幸にしていると気づくなら、君の心はきっと幸福になるはずだ。

これ大人向けじゃないの。


<22ページ 「友愛」より>
 嫌いなものを無理に好きになろうとするのは、好き嫌いにこだわるまいとして、逆に好き嫌いにこだわっているんだ。でも、好き嫌いは好き嫌いとして、どうしても存在する。それなら、それはそれとして認めてこだわらないこと、これが「愛」というものなんだ。
 君は意外だろう。嫌いが嫌いで愛だなんて、変だと思うだろう。愛というのは好きというのと同じことだと思っていただろう。だけど、愛と好きとは違うんだ。愛は感情じゃない。

14歳は、たぶん同級の知人友人関係がかなり生活のなかで多くの存在を占める。その頃これを読んでも、わからなかっただろうなぁ。今やっと沁みる。


<43ページ 「性別」より>
 もし君が女なら、「女はこれこれと思う」という主張の仕方をするべきじゃない。「私はこれこれと思う」という言い方で、個人として発言に責任をもつべきだ。そうでなければ、男でも女でも、まともな人にはやがて相手にされなくなるよ。「これだから女とは話にならない」って言われるのは、まさにその主張の仕方のせいなんだ。

そうなんだ。そしてたとえばこれを、サザエさんに出てくる花沢さんが3年後に読んで理解できるか。できるのか。などと想像してみる。


<108ページ 「戦争」より>
 ほとんどの人間は、ある共同体に所属するところの自分が、自分なのだと思っている。本当の自分とは誰なのかということを考えず、共同体のメンバーとしての自分が自分なのだと思い込んでいるんだ。わかりやすいし、安心だからね。そして、そう思い込むことによって、共同体など、自分の考えの中の作り事だということを忘れてしまう。そうするとどうなるか、わかるだろう。作り事を現実と思い込んだ人間同士、共同体同士が、その利害や名誉を賭けて、争うことになる。共同体を自分だと思い込んでいるから、冷静でいられなくなるんだ。

この章は「戦争=悪いこと」という前提でとりあえず話を始めてしまう大人も、ぜひ読んだ方がよい名作。


この本は、終盤ほどすごくなる。「自然」「宗教」「言葉」も、すばらしい内容。
わたしはもう14歳が3回目に入りそうな世代ですが、「もう14歳を5回以上やってます」という人でも、必ずや読んだほうがよいでしょうと断言します。おすすめです。