うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

あがない 倉数茂 著

他人に説明しにくい。抱えているものがわかりにくい感情ばかりで誰とも共有できない。でもそんな状況に悩まなくてもいい。そういうふうに思えるようになったのはいつからだろう。べつにわたしは悟ってはいない。
過去の延長線上にある被害妄想に苦しみ、いまの現実と結びつけてしまう。そんな苦しみのシミュレーションが存在しなかった苦しみまで引き寄せてしまったのかと思うような、そういう精神のデフレスパイラルって、ある。あるんだよ。起こる。それが楽しい気分の数秒後にふわっと浮き上がって来たりするから、静かに蓋をする技術を自分ひとりで見つけていかなければいけない。だから練習をする。べつにわたしは悟ってはいない。

 

この小説は修行僧のようなメンタルで日々を送る主人公に自分を重ねる要素がありすぎて、なんだか作り事のように見えてくる。そもそも小説だから作り事だけど、それにしても作り事めいている。
自分にやさしくする、自分を大切にするということの塩梅のむずかしさは、言葉にしようがない。お金が欲しくないかと問われた主人公は心の中で断言する。

自分の中にそうした気持ちはないとはっきり断言できた。金などより大切なのは心の平安であり、他人との適切な距離を保つことだった。
(117ページ)

この物語は心の器に溜まった雫が溢れて盛れ出さないように、地道にコントロールしながら生きてる人の話で、必ず二度読まされる。疑心暗鬼のスパイラルに読者をうまく巻き込む。過去の誤ちを繰り返さないかどうかを試すような人が現れるという経験は、わたしにも何度かある気がする。


この小説は心理サスペンスホラーのような要素がありながら、やさしさについてまっすぐに考えさせてくれる。

夏の日差しや水の動き、町に住んでいる生き物の描写が生命力にあふれている。それぞれがそれぞれの生態で生きていて、優雅に草の上を滑る蛇の丸い目に感情はないとか、そりゃそうだということをあたらめて見せてくれる。


現在と過去、自分と他者、心の平安には適切な距離が必要だ。この主人公の言うとおりだ。この主人公は絶望と絶望直前の境界をよく知っている。

あのとき、<現在>の中に永遠に閉じ込められてしまったと感じたのを覚えている。だから早く夜が来て橋野と会うのが待ち遠しかったのだ。けれどあのときあったのが絶望なら、今胸を占めているのはそれとは違うとわかっている。ただ、その感情をなんと名付けたらいいのかわからない。
(178ページ)

現在に閉じ込められるという感覚の苦しさを大人になってから再確認したのは、この本を読んではじめてできたことじゃないかと思う。いまを幸せと思う感覚。
この主人公が自分の所属する組織にいたら、なんとなく好きになってしまうだろうと思いながら読んだ。何も知らなければ。

 

あがない

あがない

  • 作者:茂, 倉数
  • 発売日: 2020/06/26
  • メディア: 単行本