うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

哲学のおさらい おとなの楽習27 崎井将之 著


西洋・中国の有名哲学者の考え方を要約している本。文章が話しかけ口調なので、やさしい先生に教わっている気分で読めます。
ひとりひとりの哲学者の説いたことを説明するだけでなく、その流れの中に「哲学という学問は、こういうものだよ」という補足が挟まれている。
「ああ、そういう名前の人、高校で習ったかも。世界史に出てきたのかな…」って感じの知識の人に、「おお。そうなのか」とあらためて教えてくれる、たいへんありがたい本です。読みながら、キェルケゴールって人の顔があまりにも美しすぎて、教科書にチョビ髭の落描きができなかったことを思い出しました。

<27ページ ギリシャ時代の哲学 ヘラクレイトス より>
実際にろうそくが燃えているということは、燃料になっているロウが熱で気化し続け、それが空気とまざり合い続けているという、絶えまない物質上の変化がそこには起こっています。こうしたことは、火が発生している場所すべてにいえることです。ヘラクレイトスはこの「火」の現象を土台に、「一見変わりがないような顔をして存在しているものも、実は全て絶えずそこには変化が起こっているのだ」ということを主張し、これを世界の原理として考えようとしたのです。

タレスという哲学者は「水」を原理としていたりして、タンマトラ(インドでいう五大要素)のどれかだけを推すってのがおもしろい!


<41ページ ギリシャ時代の哲学 プラトン より>
 この「イデア」の考えは、一見すると「なるほど」と思えそうなんですが、一つ重要なことがあります。私たちはいつそんな「イデア」を体得するのか、ということです。現代人の感覚からすると「経験の積み重ねでしょ?」と思うかもしれませんが、プラトンはそうは考えませんでした。

アートマンかな、これは。などとついインドに置き換えてしまう。



この本は、「哲学」そのものについての説明も前半に織り交ぜられていて(この感じがよい)、ピュタゴラスの章にあった、この説明がすごくありがたかった。

「哲学する」ということについて少なくとも一ついえることは、「神話を使わずに世界について考える」ということです。

ああそうか、西洋の哲学もそうなんだよなぁ、と。このへんは、インドより明快でいい。
終盤に中国の哲学者(孔子老子孟子荀子荘子)の解説もあり、日本の仏教哲学・近代哲学者についてほんの少し触れられていますが、近代でピックアップされている特選3名の中に岡倉天心が入っているのがイイ(ほかには西田幾多郎和辻哲郎)。
この著者さんの解説でもっといろいろ読みたいなぁと思ったのだけど、この本しかない。たいへんおすすめです。