うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

失神。ヒトが神を失う瞬間

まだ冬になる前の、ある日のできごと。
夜7時頃の混んだ地下鉄に乗っていたら、ザワザワ、ザワザワ、と不思議な空気。
「大丈夫ですか?」「ちょっと、え? なに?」と、ざわめく人々。



 ・・・なんだろぉ。



見えない。電車が混んでいて、見えない。下を向きなおした。
ナナメ横の奥のほうに、その日一緒に行動していた友人の着ていた、印象的な洋服の柄が床に広がっている。
なんと。友人が電車の中で倒れていた。目が空を見ている。顔色が灰色。
死んでいるのかと思った。目に精気がなかった。



「ちょっと、起きて!」と言ったら、目が開いて、立ち上がろうとする。
起きしようとしているけど、顔はゾンビのまま。まるで蘇ったゾンビ。セメントで造った人間みたい。



「立ちくらみ? 次の駅で降りよう」
「たまに、こういうことが……」
「次でいったん降りよう」



電車が止まる直前に、また友人の精気が抜ける。
やっぱり死んだのではないか。この人は死んでしまうのではないか、と思った。




 このボディのなかで、なにが起こっているのだろう。




とても背の高い女性なのでわたしが抱えて降りるのは無理だったのだけど、自分の感覚では車両から引っ張り出したつもり。でも実際には若い女性と青年がひとりずつ、後ろで手を貸してくれていました。床に座らせて柱に立てかける。やわらかい肉の塊になった友人は、ぐにゃりとしている。


若い女性:お水、買いましょうか。
うちこ:飲み物、あります!(手持ちのアクエリアスを飲ませる)
若い女性:駅員さんを呼んできましょうか
うちこ:お願いします


わたしはぐにゃりとした友人の感触におどろき、何をすればいいかはこの女性の指示に従っていただけ。ひとり、物静かな青年が「なにかあれば手を貸しますよ」というスタンスで近くにいて、友人が話しはじめたのを見て「大丈夫そうですか、ね」と見届けて去っていった。
気を失う友人の表情の遷移を見ながら、



 いまあなた、プラーナを残してアートマンだけどこかへ行こうとしていたよ。



と思った。
置き去りのボディがわたしに話しかけられて、耳から声情報を受け取ってマナスが稼動し、「大丈夫だ」とわたしに伝えようとする。が、実はそのマナスを稼動させる際に「しょーがねぇなぁ」と言いながらいったんアートマンが戻ってきた。そんなふうに感じた。
去ろうとするその存在は、彼女に向かって「だいじょーぶとか、おまえが決められるもんじゃねーぞ」と、突き放している感じすらした。油断をすると、またアートマンがあっちへ行こうとする。



 ちょいと。待っておくれ。
 なんでそんなに急いでどこかへ行こうとするのさ。



身体は生きようとしているのに、中の存在はとっとと去ろうとする。
意識の容器(マナス)は、わたしの投球を受ける気があるのに、アートマンはそっけない。
帰り道で「原因不明の死というのは、こんなふうに起こるのかもしれない」なんてことを思いながら、マナスとアートマンの接点を考えた。
いくぶんか本気で「この人、きょう死ぬのかな」と思ったので、魂が去る前提で考えてみるということを、はじめてしてみた。



 失神



たしかに彼女から、一瞬アートマンが抜けていた。
昔の人もこんなときに「ヒトが神を失った瞬間」ととらえたのかも。なんてことを考えた。





〜後日談。本人と会ったので話しました〜

うちこ:あのとき精気が抜けてゾンビの顔になる瞬間を見て、「今日はこの人、最期の日なのかな」と思ったよ
友人:実はまったく憶えていなくて。気持ちよく意識を失ってた。「大丈夫」なんて自分で言ってたのか……
うちこ:言ってたよ。いつもなら "本気で思ってねーだろ" とツッコみたくなるくらい、心のこもっていないことを言ってたよ
友人:人に迷惑をかけている、いけない、という気持ちはあったかな……
うちこ:そんなことで意識が戻るなんて。まあそんなもんか。日本人(笑)
友人:過去もこういうときに回復してきたので、そういう気持ちで適当に言ったんだと思う



このあと
「今こうして会って話しているけど、不思議と、"戻ってきてよかったね" という感じでもないんだよなぁ」と言ったら「一緒にいたのが、こういう大げさじゃない人でよかった」と言われた。
こういうことが急に降りかかってくるのは、とてもリアルな人生の瞬間。
わたしたちはサイボーグではなかった。