うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ユーモアを制圧されたら、人はきっと狂う

突如やってきた夏目漱石ブーム。本を読んだりその人となりについての記述を追ってみると、驚くことがいっぱい。
神経症だったとか精神病だったとか言われているのだけど、鑑定や診断のバラつきはさておき、被害妄想が強かったそうだ。それも、「監視されている」と思う被害妄想。初期の作品にはその雰囲気があって、それが少し茶化して書かれている。



わたしも一時期、これに似た癖がありました。いまでもひょいと電車や飛行機に乗ってどこかに行ってしまうのは、そのせいかもしれません。
予定は必要最低限の範囲にしか知らせない。そういえば海外で英国人とルームシェアしていたときは、間接的に行動を聞かれたりすることにすごく疲れたっけ。



「いつもありがとうございます」と言われたら、もうその店には行かなくなってしまう。
でもコーヒーのマドラーを使わないことを覚えて「いつものスタイル」で提供してもらえるのは助かる。嫌じゃない。
コピペの「いつもお世話になっております」は全く気にならない。むしろコピペじゃないとこわい。



目に見えぬ空気を使った囲い込みが、すこぶる苦手。
目に見えるものはもっと苦手。ポイントカードはビックカメラだけ。
約束する気もないことを「便利」とか「みんな持ってる」というイメージで渡されると疲れる。



でも世の中には便利やお得ならオッケーな人が多い。
便利やお得を管理できる人には、感心してしまう。
その両サイドの人たちが共存できる魔法が「ユーモア」。



 ま、おもしろいから、いっか。



ということはたまにある。面倒くさいがまあいいか、というのは嫌な感情ではない。
吾輩は猫である」での病的なギャグの飛ばし方を追いながら、そんなことを思う。
そのあと「坊ちゃん」を経て「草枕」に至る流れはとてもおもしろい。



苦労とか苦悩とか耐えてきたこととか、そういうことは無駄口に乗せず、成仏させるべく心身を使っていこう。漱石が小説にそれを忍ばせたように。最近はヨガのクラスやなにげない文章の中に思想を仕込むのがちょっと楽しい。
最近まで、「おもしろいことはぜんぶライブにするしかないな、この言葉狩り社会」と思っていたのだけど、漱石が模索した道はいろいろなアイデアをくれる。最近マイブームのグルです。