うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

宝彩有菜のバガヴァッド・ギーター(全巻/Kindle)


瞑想を科学的に指導する人の目線でのギーター解説書。キンドルで見つけたので読んでみました。
著者さんによる解説と、「笑雲(先生)」「小松茸(弟子)」の対話仕立ての構成で、バガヴァッド・ギーターのなかの瞑想の修行に関する部分のみを抜き出して解説されています。
最後に小松茸さんがアルジュナのことを「質問を続けていれば、修行を一度もしなくてもなんとかやり過ごせると、18章まで引っ張ったのがすごい」と評価しています(笑)。気楽に読める解説書なので脱線のしかたがとても楽しくて、キリスト教の聖書の中でのここに相当するといった解説や、宮沢賢治との共通点なども登場します。


著者さんの突っ込みも淡々としています。

魂が不滅だからといって人を殺して良いはずがありません。古来、多くの人がここの箇所が納得いかないまま、とりあえず先に読み進むことになったと思います。

んだ、んだ。と思いながら読める。


6−9についての補足説明がよかった。

「自分に好意をよせる者も、朋友も、仇敵も、中立者も、憎むべき者も、親族に対しても、また、善人に対しても、悪人に対しても、心平等なる者(悟った者)は、超越している」


間違い易いので付言しておきますと、そのように、良い人の態度を取り続けていると、いずれ悟れる、あるいは、悟りやすいというのではなくて、悟った結果として、自然とそのような心が平静な態度になる。ならざるを得ないということです。
(中略)
どんな人も、みんな、その人その人のプログラムで動いているということが深く理解できるので、そのようなプログラムを生成、保持するに至ったかもしれない、その人の辛い生い立ちや過酷な経験を、推量したり、同情したり、憐れむことはあっても、とても憎めなくなってくるわけです。ですから、誰も、生まれつき悪い人はいないという理解のしかたになりますので、結果、誰も同じように見えるということになります。



瞑想を中心とした視点の人は、わたしとは少しちがう感じ方をするみたい。
14章で登場するプラクリティとトリグナについて

現代科学が発達した今では、この三グナの説明は、荒唐無稽で、それから導かれるさまざまな解説も、したがって納得のいくものではありません。ですからこの14章、15章は、世にたくさんある、どのバガヴァッド・ギーターの解説書にも、あまり、取上げられていません。

ここがねぇ、アーサナをやるようになればなるほど、14章と15章が刺さりまくるんですよねぇ。この非科学的なトリグナが!



この本は

  • 古代のインド人はエンターテインメントの中に修行方法の教えを埋め込んだ
  • ドラマの中に忍び込ませておけば、教えが変わって伝わることを防げる

という解釈で、瞑想の指南書として解釈を深めています。
この視点はとてもおもしろくて、「具体的な修行態度」を掘り下げていくところがあるのですが、そこが読みどころ。練習を始めると一時的に通過する凶暴性のようなものにも触れています。
なかでも、この説明はいいなぁ、と思いました。

徳目らしいことを、頑張って実践していると、いずれ、「苦しい・辛い」が発生してきて、今度はその解消したいという意欲が、修行を開始したり、修行を進めたりする原動力になる。

練習は、「自分を知る⇒他人を知る⇒自然を知る⇒自分をも自然の一味であることを知る」の繰り返しなので、「解消したいという意欲」がある状態の積み重ねで、じっくり地味に生命力のようなものが厚くなっていく、そういうもののように思います。生命力が厚くなると、生命欲を手離せるようになり、いい意味で少しずつアホになれる。生命力が厚くなるほど無口になるような。




まーそれにしてもバガヴァッド・ギーターは何度読んでもおもしろい。
これまでどちらかというとマネジメント本のような視点で読むことのほうが多くて、瞑想にフォーカスして読んだのは初めて。この本を読んでいるうちに、「ん! これはアーサナの説明で使える!」と思う箇所を発見したりしました。違う視点を軸に読むって、おもしろいですね。


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★おまけ:バガヴァッド・ギーターは過去に読んださまざまな訳本・アプリをまとめた「本棚リンク集」があります。いまのあなたにグッときそうな一冊を見つけてください。