旅先で見かけた女性の知性に驚いてちょっと特別な経験をした気持ちになって、宿に帰って地元の人にその話をしたら「あそこへ行くときはみんなそのくらいの知識を入れていくものだ」とあっさり言われる。しょぼーん。こういう、自分の浮足立った能天気さが露呈する異国でのエピソードを夏目漱石が書くとなぜかおしゃれに仕上がる。よくよく考えると「ちょっと残念なわたしの恥ずかしい話」なのに。こういうのを「こなれ感」というのか。しかも行ってる場所は処刑地。シリアスさの引き算も絶妙。
ヘヴィな観光地でもいつも通りに展開してしまう俗な脳内妄想をリアルに見ている実況と重ねて書くリズムに境界がない。シームレスに不謹慎で美しい。わたしもまじめな話をしている最中におそろしく俗な脳内妄想を同時進行していることが多いから、こんなふうに書いてくれると自分の頭はおかしくないのだと少し思える。ほっとする。
ダンテの神曲「地獄篇」を読んでいるときの脳内の情景が夏目漱石の「坑夫」に少し似ていて、こんな感じの暗い短編があったよな…と思ったらこの「倫敦塔」でした。前に読んでいたようで、Kindleにハイライトが引いてありました。読んだ本を忘れているときって、少しさみしい…。でもなんだか情景がどよ~んとしていたことは覚えていて、読み始めてから思い出しました。中身はほとんど忘れていました。
あとでこの本をきっかけに知ったポール・ドラローシュの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」という絵を検索して画像を見たら、その人が美しくてやり場のない気持ちになりました。英国も歴史はえげつない…。今がものすごく平和に感じます。そして「塔に閉じ込められるエドワード王の子供たち」を想起させる少年の手を
象牙を揉んで柔らかにしたるがごとく美しい手
とさらっと表現していて、ずるい。ずるいわー。
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