うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

多国籍版・宗教ディスカッション

哲学の授業で、いろいろな国の人と宗教について話す機会がありました。
在住国ベースでアルゼンチン、スペイン、イタリア、フランス、チェコ共和国、イギリス、アメリカ、ドバイ、インド、タイ、日本。生まれベースでは中国とフィンランドが加わ理、司会者も入れて総勢15名。司会はインド人の先生で、言語は英語です。
すべてを書くと長くなるので割愛しますが、出だしの投球はこうでした。



「宗教って、なんでしょう。 あなたはそれをなんだと思っていますか」




かしこまった会議ではなく、集まった人も宗教の専門家ではありません。
カジュアルなディスカッションだったので、いろいろな人がなんとなくつぶやきベースで返球したのですが、先生が次の進行議題としてピックアップしたのがこの4つでした。


  • 「Set of Beliefs」(アメリカのロンさん)
  • 「Prophet」(スペインのタトさん)
  • 「Rituals」(イスラエルのウディさん)
  • 「Fear」(日本のわたし)


タトさんは「ラテン系にもほどがある!」と突っ込みたくなるようなふざけた男性(笑)。高田純次さんのような人。
ロンさんはインテリで、トークのなかにワンネスとかそういう単語が出てくる。
ウディさんはおとなしい人なのだけど、ふいにつぶやく。
それまで賑やかだったイギリスの人たちは、この話題ではおとなしかった印象です。
こういう話題が苦手なのは日本人だけかと思っていたら、意外とそうでもなくて、みんななにを話していいかわからない雰囲気でした。マテリアル信仰が進みすぎてしまったのは、日本だけではないみたい。



そのあとイタリア人女性から雑談で「わたしも瞑想を日常生活に取り入れたいのだけど、イタリアでの生活とのギャップがすごくてむずかしそう。日本はもっとやりやすいでしょう?」といわれました。
うーむと思ったのだけど、「ランチやディナーが1時間じゃ済まない雰囲気のお国柄」の日常では、そうなのかもしれません。教会で瞑想しようものなら「あの人どうしたの?」という目で見られるそうなので、「瞑想するなら、モスクへ行ってみては?」と、マレーシアでのオープンな状況を話したら「ちょっとバイクで行ってみる!」と。
キリスト教の権威の国というイメージのあるイタリアだけど、彼女の話を聞いていたら、そうでもないみたい。
日本は日常所作や習慣のレベルでは宗教的なものが根付いているといえる側面があるな、と思いました。お寺で15分くらい座っていても、スルーしてくれます。





わたしの英語レベルでは理解度30%なんじゃなかろうかと思うのだけど、電子辞書のタイピングの速さだけでなんとか乗りこなす。
ビバ文明。