うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インドの時代 豊かさと苦悩の幕開け  中島岳志 著

1999年からヒンドゥーナショナリズムを調査研究している著者さんによる鋭い一冊。
あとがきで

インドに、一方的な幻想を押し付け、インド人を「自己の欠落を補完してくれる他者」として見るようなあり方から、我々日本人はそろそろ脱却しなければならない。

と指摘する。


インドは地域格差がおそろしく激しいのだけど、この本を読みながら、中間階層のデリーの人々のことを何度も思い出した。2002年に初めてインドへ行ったとき、ヤングの集いで質問されまくる同世代の友人の関心事は、そのころデリーにモーテルができたというのがホットな話題だったこともあり、「婚前交渉についての日本の女性の感覚」だった。
ここ数年の中国の勢いに対して、インドはあの勢いでは進まないだろうなと思うところがあって、それは結婚観とか倫理観とかそういうところだったのだけど、なんとなく「インドに存在する見えないブレーキ」をドライに紐解いてもらったような、そんな気持ちになる一冊でした。


この本の前半では、インドが抱えているお受験の時代、町中でイチャつくカップル、ベジとノンベジのスタッフを分けて巧みに浸透していくマクドナルドなど、日本にもあったなぁと思うようなエピソードが続き、そこから湧き上がる気風の統制問題への線路が敷かれます。
日本人が戦後からこれまで「帰るべき宗教心の土台が薄かった」ことは、ある意味幸せであったのかもしれない、そんなことを思いながら読みました。「三丁目の夕日」的なイメージのそれです。



インドへ行ったことのある人は、独立後のインドの国民生活の近代化の裏で起こっている「古くて新しい宗教対立」の姿を知ると、ヒッピーの時代にはインドでは疎まれていたはずのスピリチュアルな新興宗教がアリなムードになっているもうひとつの背景が見えてくるでしょう。
中盤では、よくぞ簡潔にここまで網羅して説明してくれました! という内容が怒涛のように続きます。


二章でここまでを網羅されています。ものすごい要約力。



第三章では、わたしたちが不勉強である宗教紛争の歴史が徹底的に解説される。

  • マハートマー・ガンディー暗殺の背景
  • インディラ・ガンディー首相暗殺の背景

のほかに、


これらの背景にじっと流れているものについての解説がありがたかった。いままで断片で知っていることもあったけれど、イスラームの思想にアプローチしながら歴史を見てみた後でこの本を読むと、「アヨーディヤー問題」「シャバーノ裁判」だけでなく、マハートマー・ガンディー暗殺の背景に英国との問題、カーストの問題のほかにあるイスラームとの関係性がくっきり見えてくる。
離婚後のイスラーム女性を宗教法と刑法のどちらで守るかという「統一民法典論争」は、経済成長か宗教国家か、というインドの悩める側面を深く映し出している。
わたしは、ここがいちばん印象に残った。



ぜひそこまでの流れを踏まえて読んでみてほしい一冊なのだけど、この本の本題は、ここにあります。

<235ページ ヒンドゥーナショナリズム運動と他者排除 より>
 宗教に関わる暴力の連鎖は、なかなか止まらない。
 このような暴力事件は、特定の敵を措定することによって不満の捌け口をつくり、自己アイデンティティを構築しようとする欲望に基づいている。都市の中間層は、暴動事件に直接的に加わることは少ないが、ヒンドゥー教の衰退や深刻な現実問題の要因を「ムスリムの陰謀」や「クリスチャンの陰謀」と安直に認識する風潮を拡散させることによって、暴動事件を関節的に支えているといえよう。

(中略)

現在のインドでは、消費主義への反省的思考と存在的問題への覚醒が生じ、ヒンドゥーとしての信仰のあり方を見つめ直そうとする姿が見受けられる。そして、そのような宗教的な変革からヒンドゥーナショナリストの奉仕活動へ積極的に参加する主体が生まれている。しかし、それが他者を排除する志向性の拡大へと繫がってしまっている。

日本と比較すると、この「消費主義への反省的思考と存在的問題への覚醒」への折り返しの早さは「インドだなぁ」と思う。



「あのころは良かった」と懐かしがることも、「これではグローバル化が進まない」と前のめりになるのも、ちょっと前からの日本を見ているような気持ちになることが多いインドなのだけど、それでも日本はツルツルーッと屈託なさげに上滑りできてしまうところにまとまりがあると感じる。
わたしの知っているインド人の20代までは屈託なく、30代の人もおおむね屈託なく近代化を謳歌しているように見えるけど、40代以上になるとそれを嘆く人にも会ったりする。そこが好きなところでもあるのだけど、躊躇のしかたが排他的にねじれてくるとなると、これはまたちょっとややこしい。
ヨーガ周辺は西欧からの逆輸入が進んでグルは個人商品化し、ヨーガ感を「インドという土地」が担っているような構造に見える。



まだまだちゃんと見栄っ張りなインド。根が権威好きなインド。数で勝負だ! となってもなかなかまとまらないインド。どうにも中国のような流れにはならないだろう。
ガンジーのような人がまた現れるのかわからないけれど、博愛のありかたは、いまは個々の心にゆだねられている。この本のタイトルにある「苦悩」は、「上滑りできずに焦る」ような感覚のことだろう。
権威に寄りかかり、長いものに巻かれて安心したい気持ちは、人間の根源的な要求のひとつなのだと思う。ここは日本のそれとインドのそれはちょっと雰囲気が違っているけれど(清潔信仰っぷりがちょっと違う)、そこにドライブをかける「インドの霊性ブランディングのこれから」はちょっと怖い側面を持っている。
鋭い警告の書です。

インドの時代―豊かさと苦悩の幕開け (新潮文庫)
中島 岳志
新潮社 (2008-12-20)
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