うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

酔うと化け物になる父がつらい 菊池真理子 著


この本はここに感想を書くのをやめようかと思ったのだけど、でも世の中にはこの本を読んで嗚咽するわたしのように、主人公と同じ境遇の人がたくさんいるだろうし、ちゃっかり自分だけ読んでよかったと思っているのがもったいないほどすばらしい。なので感想を書きます。
今日の話は経験のない人には重いだろうと思うので、そういうのが苦手な人は読まないほうがいいし、そんなことを考えずに暮らせるほうが幸せなので、できるだけスルーしてください。


わたしはアルコールに溺れる人に対して、少し冷たい感情を持っています。これは梅干しと聞いただけで唾液が沸いてくるようなもの。
そんなに潔癖ではないし今もビールだけはたまに飲んだりするので友人も気づいていないくらいだと思うのだけど、ここ数年でかなり「お酒」のある場面から遠ざかっています。具体的には、ウイスキー・日本酒を飲む人とは、一緒に時間を過ごすのが怖い。お酒の種類での線の引き方の境界は自分でもよくわからないのだけど、焼酎やワインを楽しんでいる人からはそんなに怖い思いをさせられたことがないというだけです。


このコミック・エッセイは、その日一日頭痛がするほどの共感がありました。半分くらいはわたしにも経験のある感情であり、経験そのままでもある。
主人公がお姉さんで、妹さんと暮らしているのだけど、妹さんをお姉さんが泣かせてしまう場面ではもう苦しみがわたしの想像をはるかに越えてしまって、吐き気がするほどでした。でも一人っ子で苦しんでいる人も、世の中にはいっぱいいるんですよね…。兄弟姉妹はいても、そこで争うくらいならひとりで抱えてしまうほうがラク、というわたしのような考えかたで抱えている人もいるでしょう。
アルコール依存症家族の話では西原理恵子さんも本を出されているけれど、読んでも内心「とはいえ相手は血縁じゃないし、それに相手が死んだから多少は経験を美化できたりもするのだろう」と思うところがあります。でもこの本では、娘同士が助け合っている姿に希望を見ることができました。妹さんがこれまたえらいというか、妹さんもお姉さんが乱れたとき、相当つらかっただろうなと。


それにしてもまぁよくここまで内面の吐露をしてくれたものだと思います。学習性無気力という心の状態は、少し前に読んだ「夜と霧」を思い出しました。
この漫画のすごいところは、なかなか言語化できない感情を何度も表現しようとしているところ。

(以下、脳内セリフの部分)

 「時々こういうプレゼントをくれるから イヤなことを帳消しにしてしまうのだ」


 「ずっと化け物だったら 嫌いなままでいられたかな」


 「好きと嫌いに引き裂かれて とうとう何も感じなくなった」

親が子どもに対して抱くのは無償の愛だというけれど、子が親に抱く愛だってある。だから、しんどい。いつだってイヤなことを帳消しにしてしまいたいくらい親のことが好きであるという感情の種は、ほんの少し水を与えられただけで、またすぐに発芽する。そしてまた摘まれる。この繰り返し。そして学習性無気力になります。伸びきったバネみたいになる。


わたしもこの作家のかたと同じく周囲の他人にすごく助けてもらって今があると思っているのですが、この漫画の最後にあった他人が言ってくれたことを回想する以下の会話は、過去の自分に教えてあげたいけれど、教えてどうなるものでもなかったように思う。

 「お父さんとのいい思い出もあるよ」

 「1万円払って100円玉もらって それを宝物にしてるみたいだね」

作家のかたはこれをズレた感覚だと回想されているのですが、わたし自身はまだこのズレを補正できていません。死ぬまで "100円玉を大切にしなかった自分" を責め続けるんじゃないかな。子どもの立場って、そんな感じじゃないのかな。
わたしはこの感覚がたとえズレているのだとしても、治しようがない気がしています。だって自分が生まれてきたことを恨みながら生きていくのは、つらいもの。なのでこのズレは、自分の体重と同じだけの重みがある。そんなふうに感じています。わたしの場合は認めてしまったほうがラクだったのだけど、これは少数派なのかな。


── それにしても。
ちょっと感想を書いているだけでも、やっぱりこういう感情を不特定多数の人の前で表に出すって、すごくエネルギーがいるものです。よく描いてくださったものだ。読んでよかった!
こんなにも自分を責めては立ち直る内省描写がうまい「依存症家族」の物語を読んだのは、はじめてです。こういう種類の感謝の気持ちは適切な言葉が見当たらないのだけど、「ジャッジできない愛」を心を尽くして描いてくれて、ありがとうと言いたいです。


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