沖先生のお弟子さんの本です。2007年の超現代訳。どなたにも読みやすいノリで、沖先生とのエピソードがちょいちょい挟まっていました。温タオルを使った手当て法などは、井本整体に似た要素があります。
文字量は多くないのに、こころ、身体、食事、アーサナ(アサンス、ね)、症状別対応を網羅している入門書。「ヨガの喜び」という名著すぎる名著をすすめたいけど、いきなりだとヒくかもな〜、くらいの距離感でヨーガに興味を持っているお友達にすすめやすい良書です。
沖道ヨガの現代語訳普及しやすいバージョン。あまり説明は必要ない気がします。さっそく紹介、いきますね。
<11ページ 身体に聞くヨガ より>
ヨガは密教であり、実践しなければわかりません。ヨガは他人に頼るのではなく、あくまで自力で生きることを目指しています。
冒頭でバチッと言ってくださっている。
<31ページ ポーズや瞑想だけでは幸せになれない より>
私も沖導師と出会うまでは、難しいポーズを必死に追求していました。しかし、それは形だけできて自己満足しているだけだったのです。つまり、修行のための修行に過ぎなかったのです。ヨガの修行は、他を思いやり、共に喜びながら共存共栄できるものでなければいけません。自分だけ救われて喜んでいるのでは動物と同じです。人間ならば、他を思いやり、共に喜ぶことを目的に、修行していくべきだと考えます。
こういう要素を冒頭に持ってきてくれているのが、この本のよいところ。よく「仕事のための仕事をしただけで、仕事した気にならないで。なにも生まれてない」なんてきびしいことを言ってしまううちこなのですが、アーサナと同じことなんだ。
<50ページ 身体の歪みを整える修正体操 より>
修正体操には、痛くない方、筋肉の緩む方向に動かす消極的修正体操と、きつい方、やりにくい方向に行って積極的に歪みを整える修正体操の2つに分かれます。
ヨガを続けていると、普段のなにげない動作のなかでも「促進のリラックスを求めている身体」と「反発の刺激を求めている身体」がわかるようになる。これも大きな魅力のひとつですよね。
<111ページ 歯並びが示す理想の食事 より>
人間の歯は、門歯8本、犬歯4本、臼歯20本の合計32本あります。一番多い臼歯は臼の形をしていて、穀物をすりつぶして食べるのに適しています。つまり、人間は穀物を主食にするようにできているのです。門歯は野菜などをかみ砕くのによく、犬歯は肉を噛み切るのに使います。
歯の構成からすると、穀物5:野菜2:肉1の割合で食べるのが、理にかなった食事といえます。穀物を多く食べ、肉食は全体の7分の1程度に抑えるようにして、ちょうどよいのです。
スリ・ユクテスワ・ギリ師の「聖なる科学」の中にあった歯についての記述は感動モノなのだけど、それをさらに噛み砕いて日常メソッドに落とし込んでくださっています。ちなみにうちこは臼歯が6本少ないので(矯正で抜いた)、穀物はもう少し小さな比率がいいのかな。
<130ページ こんなにある、断食のメリット! より>
眼、耳、鼻、皮膚は全て身体の外に意識するようにできていますが、断食をするとお腹がすくので、身体や心の中に自然に意識が向きます。その時を利用して、体操をすると行いやすく、瞑想をすると、身体の教え、心の教えなどの感知力が高まります(感知力とは、悩み苦しみの解決策に気付く事)。
空腹は、意識を細かくしてくれる。障害物が減るのだから、そりゃそうだ、ちう話なんですよね。
<138ページ 贅肉は身体の異常を知らせるサイン! より>
贅肉が付くには、それなりの原因があるはずです。
例えば、精神的ストレスや内臓に異常があれば、その部分は血行が悪く、内臓を保護するためにお腹に贅肉が付きます。贅肉の脂は体内を保護する役割を果たすのです。
背中に贅肉が付くのは猫背が原因です。背筋は本来縮む筋肉なのに、猫背では伸ばされてしまいます。伸びた筋肉を保護するために贅肉が付くのです。
腕に付く贅肉は、首や肩、目、耳、鼻などに異常があり、肩胛骨がこっていると付きます。足の太股に贅肉が付くのは腰が弱いからです。ふくらはぎは、腎臓や腰椎4番、5番に異常があると贅肉が付いて太くなります。足首が太いのも腎臓が弱く、むくんでいるからです。
以前ヨガ仲間に「サーフィンをしている人のお腹って、なんで引退したプロレスラーみたいなんだろう?」と聞いたら「水の中に入るからでしょ」といわれて「なるほどなぁ」と思ったことがある。半分筋肉、半分脂肪ブレンドのようなかんじ。
贅肉にも原因があると思うけど、うちこは「重い筋肉」にも原因がある説をとっています。そのうち書きますね。
<143ページ ダイエットにはよく噛むことが大切! より>
大食を続けると身体が教えてくれます。胃が大きくなり、左の肋骨が盛り上がってきます。骨が変形してしまうのです。ちなみに、ヨガには広がってしまった肋骨を縮める体操もあります。肋骨を正しい位置に戻し、食べ過ぎないようにします。
うちこは左の肋骨がものすごく盛り上がっています。正座から寝るポーズをしながら目線を下に持っていくとよくわかります。いまは大食しないけど、昔の食生活でそうなったのだと思う。高校生の頃、今よりも細かったのに今の倍は食べていた。運動量も今の倍だったのだけど、運動しているからって食べる必要はなかったんだよなぁ。
<156ページ 座る瞑想より「生活冥想」を心がける より>
一般的なイメージでは座って瞑想すれば悟りを開くことができるように思われていますが、座っている間は心が穏やかでも、立ち上がってから人と争ってしまうようでは何もなりません。座っているだけで、人間性を高め、ものごとの判断ができるようになるのは難しいでしょう。
目偏のつかない「冥想」は、自分の心に目を向けながら暮らす「冥想生活」です。道を歩きながら、電車に乗りながら、人と話しながら、フッと自分の心に意識を向けます。クルマを運転しながら、自転車に乗りながらの「冥想」も有効です。自分の心に意識が集中していれば、無心になって周囲の状況がよく見えるようになるのです。(中略)
「冥想」することで、欲や見栄、自尊心などから離れて無心になれれば、自分に必要なことを生命が教えてくれます。
うちこは、まっすぐの道を走るバスの中でする瞑想と、まっすぐの道を歩く瞑想がすきです。生活中のデフラグね。
<173ページ 人間の自然心をもつことが大事! より>
愛行
生命の力を出し切るように協力することです。足腰が弱りはじめているお年寄りを車椅子に乗せたり、スプーンで食べ物をいちいち口まで運んであげるのは、一見親切そうに思えますが、本人は歩けなくなり、箸やスプーンを持てなくなります。足腰が弱いなら杖をついて歩かせ、自分でさせるのが愛行なのです。
人間は気力が少なくなると人を頼ろうとします。お年寄りを大事にしすぎると、気力をなくさせてしまいます。人に頼らせるより、自分でやれることはやるように仕向けるのが本当の愛なのです。ケンカしてでも、その人本来の力や知恵を出し切るようにしてあげることこそ愛だといえます。
「自分でやる」ヨガを学ぶんだよ、という指導(参考)もそうですが、仕事もそう。毎日、このことを思わない日はないなぁ。ヨガがかなり仕事の中に落とし込まれてきた。
サラリーマン、親、なにかの指導者……、自分の身心チューニングを日々行いながら人も育てていくようなバランス生活者には、負担にならない文字の量でほどよく励みになる。そんな本だと思いました。
現代書林
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