うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

野口体操入門 ─ からだからのメッセージ 羽鳥操 著

またしても素晴らしい本に出会ってしまいました。同じ野口で混同されがちですが、整体ではなく「野口体操」の野口三千三氏のお弟子さんが書かれた本です。2003年の本なので完全に現代的な言葉でわかりやすく、また、昭和の身体思想の歴史にも触れられています。
夢中になって読んだポイントとして、以下がありました。

  • 三島由紀夫氏の身体観と、そこへ至るまでのあれこれ、石原慎太郎氏と三島由紀夫氏の対談エピソード。(15ページ〜)
  • 文部省の体育指導要綱の歴史(30ページ〜)
  • 鴻上尚史氏との呼吸についての対話エピソード(75ページ)


特に三島氏の急激な身体革命を、身体を語る側から追ったこういう記述は貴重。逆から追ったものは横尾忠則さんの本などにちょこちょこと出てきたりするのですが、よくぞ書いてくれました、という内容です。



後半は野口氏語録を用いての新体操法解説が展開されるのですが、「ヨガの逆立ち」に登場する

  • 重さを流し込む
  • 液体的な重さを移動するイメージ

という表現を使っての説明は、目からウロコもの。
マッスル・スピンドルについての記述もあり、この本では「能動的収縮性緊張」という説明がされています。

緩んでいても自分の限度を超えて重さをかけられぐいぐい押されると、筋肉が伸びようとすることではなく抵抗するようにはたらく。これを抵抗性の緊張という。(62ページ)

このほかにも、特に沖ヨガや佐保田ヨーガではいまだにしっかり教えてくれる、空手の作法にも通じる腕と手首の動かし方について

 野口体操では腕をまわす(どんな動きであっても)ように見える動きでも、土台(床に接しているところ)から伝えられたエネルギーによって動きを成り立たせていく。
(中略)
からだ全体の上下動を回転のエネルギーに変換することはそれほど難しいことではない。
(101ページ)

という文章とともに説明がされています。



この本のなかで引用される野口氏語録はどれもグッとくるものばかりなのですが、なかでも

  • つながり(構造・骨組み)があるところには、つたわり(機能・はたらき)がある。

(107ページ)

の部分には、うなった。



そしてこの本はさらに著者であるお弟子さんの羽鳥氏の解釈によって、さらに磨きをかけて伝えられる。

生きている人間の動きを、オリンピック的なより速く、より高く、より強くという方向性で捉えようとするのではなく、本質的な意味での柔らかさ・力強さ・速さを、野口は次のように捉えようと考えていた。
「内部環境あるいは外部環境から、或る情報(力・刺激)があたえられたとき、それを高い感度で正確に受けとり、それを伝えるべき所へなめらかに速やかに伝え、その間に適当に選択・濾過・制御して、適切に反応(適応)する能力」

この現代への時代翻訳がすばらしい。
この本の第一章「身体感覚を甦らせよう」の最後の一文

今までどおりには生きられない時代の変革期に、創造的に生きるための身体とのかかわり方をお伝えしよう。

という宣言どおりの、すばらしい一冊。



そしてわたしは、この本で著者さんが開脚前屈の説明で書かれているここが好き。

この動きに関しては、時間をかけてほしい。年単位・十年単位の長さをイメージしてもらえると怪我は少ない。筋肉もその人の歴史を背負い、物語を持っているのだ。どんなからだの使い方をして生きてきたのか。からだの使い方の癖は、筋肉のあり方も使い方も偏らせている。その偏りをほどき・ほぐすには、そこまで生きた時間を念頭においてもらえるとありがたい。あせりは禁物。あせりは怪我のもと。

ここ、ほんとうにそうなんですよ(参考)。



さらに、この警告もすばらしい。

からだの中心感覚を宿す「へそ」の後ろ側が、反り返って、過ぎた緊張を強いられることによって、現代人のからだは、どれほど歪ませられているだろうか。
余分に胸を張る姿勢を「いい姿勢」とする間違ったイメージを、日本人は近代化のなかでもたされてしまった。

「歪ませられた」という感覚は、わたしの世代よりも少し上の「胸を張れ!」教育の世代の人が語るとやっぱりズシンとくる。


ヨガをする人にもしない人にも、指導者さんにもはげしくおすすめの一冊です。