うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

投影された宇宙 マイケル・タルボット 著(後半)

先日ここで前半の内容を紹介した「投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待」の後半の感想です。
前半の感想でも予告しましたが、ヨギにとっては「かなり紅白歌合戦的な人選」でありながらも、そのなかでもさらに「あぁ、そこ、えー? そこが刺さりましたか。あなた西洋人なのに、石川さゆりのあの高音に変わる折り返しがグッときますか」みたいなこう、とにかくイイんです。なんだか。

さてこの後半、わたしはこの本を読んではじめてハワイの宗教について学びました。「カフナ」という言葉をはじめて知る人は、以下を読んでおくとよいです。出てきた言葉を調べているうちに、やっぱりここの説明がいいわぁと思うサイトをご紹介します。


ほぼ日刊イトイ新聞 より
Vol.43 ハワイの宗教 Ho'omanamana - Kahuna ホオマナマナとカフナ Part1
Vol.44 ハワイの宗教 Ho'omanamana - Kahuna ホオマナマナとカフナ Part2


カフナが秘術を施す上でいちばん大事とする「潜在意識」「霊的な魂」「陰と陽の調和」は、ヨーガの世界、ヤキ・インディアンさんの世界、ミラレパさんのチベット密教の世界に通じるところがありますね。ハワイってまったく興味がなかったのだけど、これを読んで興味がわきました。


そんな予備知識を置きつつ、いつもの感じで後半行きますね。

<299ページ 思考がつくりあげるもの より>
この本に登場した多くの研究者たちと同様に、カフナたちは思考には実体があり、彼らが「キノ・メア」(影体)とよぶかすかなエネルギー物質でできていると考えた。
(中略)
 ほとんどの人は思考に責任をもっていない、とカフナは言う。高次の自己に対し、まったくコントロールされていない、互いに矛盾しているさまざまな計画や望み、恐れなどを常に浴びせかけている。これが高次の自己を混乱させるため、ほとんどの人の人生は、これまたコントロールのきかない偶然の産物と見えてしまうのだ。強い力をもち、高次の自己といつもつながりをもっているカフナは、人の未来をつくり変える手助けができると言われていた。同様に、生きていく過程で、人々が頻繁に立ち止まっては自分の人生について考える時間をとり、自分の望みを具体的なかたちで思い浮かべることが非常に大切だと考えられていた。そうすることによって、人は自分の身にふりかかる出来事をもっと意識的にコントロールできるようになり、自分の未来を自分の手でつくっていくことができるとカフナは説いたのである。
(中略)
 チベット密教神秘主義者たちも、この思考の「物質」を「ツァル」とよび、すべての精神活動はこの神秘的なエネルギーの波動を生み出すと言う。彼らは、宇宙はすべて心の産物であり、すべての存在のツァルの集合によってそれは創造され、生命を与えられていると考えた。密教によると、ほとんどの人は自分がこの力をもっていることに気づいていないが、それは普通の人間の精神が「大海から隔絶された小さな水たまりの如く」にしか機能していないからだという。精神の深いレベルに接触する技を持つ偉大な行者だけが、このような力を意識的に利用することができると言われており、彼らがこの目標を達成するために行ったのは、望むものが創造された姿を繰り返し思い浮かべ視覚化(観想)することであった。チベット密教の文献には、この目的で行われる「サーダナ」とよばれる視覚化の訓練がたくさん書かれており、カギュー派のような宗派では、自分の視覚化能力を完成させるため、僧侶は最長七年間も洞窟や閉ざされた部屋の中にひとりで過ごすという。

カギュー派(カギュ派)はミラレパさんの、というかそんなに洞窟にこもった代表格みたいな人が彼なのですが、その教えとの共通点というきっかけでハワイの宗教について学べたのは、わたしにとってとても素敵な流れでした。
このストイックさ、アプローチの違いには、風土が生み出す宗教観もかいま見えます。


<343ページ 一瞬のうちに飛び込んでくる知識 より>
臨死体験の中で彼らが繰り返し繰り返し強調することがふたつある。ひとつは、愛の重要性だ。幾度となくこのメッセージが繰り返される。曰く、私たちは、怒りを愛に置き換え、もっと愛することを学び、誰でも無条件で許し、愛することを学ばなければならない。そして、そうすれば私たち自身も愛されるのだ、と。
(中略)
 私たちが地球に置かれているのはこのため、すなわち、愛がすべての鍵であることを学ぶためなのだ、とこの存在は言う。それが困難な作業であることは彼らも認めているが、生物的、霊的な存在である私たちにとって、これはおそらく到底はかり知れないほど重大なことであるとも彼らは教えている。子供たちでさえ、このメッセージをはっきりと頭の中に刻み込んで臨死体験から戻ってくる。
(ちなみにもういっこは「知識」だそうです)

ジョン・レノン的。ジョンはインドと相性が悪かったみたいだけど。


<350ページ 人生の計画と平行時間の軌道 より>
 運命の中で自分が果たす役割を臨死体験中に直接見せられなかった人でも、戻ってくると、万物のホログラフィックな相互結合性についてしっかり理解している場合が多い。六二歳になるビジネスマンで、心臓停止の最中に臨死体験をした男性が言う。「ひとつ学んだことは、私たちはみな、ひとつの大きな生きている宇宙の一部だということです。もし私たちが、他の人や生き物を傷つけても自分は傷つかないと考えているなら、それは悲しいまちがいです。いま私は、森や、花や、鳥を見て、『あれは私だ、私の一部なんだ』と言えます。私たちはすべてのものと結ばれていて、そのつながりを通して愛を送れば、私たちは幸せになれるのです」。

臨死体験で阿字観した人のおはなし。


<360ページ 知性と調和あふれる光の像 より>
 意識を変えるだけで、現実のより精妙なレベルにアクセスできるという考えは、ヨガの教えの主要な前提のひとつである。ヨガの修行の多くは、いかにしてこの旅をするかを教えるためのものである。そしてここでも、この冒険に成功した者たちは、いまはこの本でもうすっかりおなじみとなった風景を語るのだ。そのような人間のひとりが、その名こそほとんど知られていないものの、広く尊敬を集めた人物で、一九三六年にインドのプーリーで没したヒンドゥーの聖者シュリ・ユクテシュワル・ギリである。一九二○年代にシュリ・ユクテシュワルに会ったエヴァンス=ヴェンツは、この聖者のことを「感じのよい雰囲気と高貴な人格」をもち、まちがいなく「まわりの信奉者がもつ敬愛に価する」と述べている。
 シュリ・ユクテシュワルは、この世界と次の世界との間を行ったり来たりすることにとりわけ才能があったようで、死後の世界は「光と色の非常にかすかな振動」でできており、「物質宇宙より何百倍も大きい」と描写した。

ここだけ読むとフシギ聖者みたいに思われてしまうけれど、シュリ・ユクテシュワル(スリ・ユクテスワ・ギリ)師をこのように取り上げた著者さんにがっちりハートをつかまれてしまいました。
聖なる科学」はすごく薄い本なんだけど、すごい名著なの!


<364ページ ふたたび、光について より>
 実際のところ、シュリ・オーロビンドの説の多くは、ボームやプリブラムの結論と区別がつかない。彼は、ほとんどの人間の頭の中には「心理的な幕」があり、これが「物質のベール」の向こう側を見るのを妨げているが、このベールの先をのぞくことをおぼえれば、あらゆるものが「強弱が変わる光の振動」からできていることがわかると語る。また、意識もさまざまな振動からできていると説き、すべての物はある程度の意識をもっているとも考えていた。もしも物に意識がないとすれば、物との接触ができる可能性はないのだから、ヨガ行者が物体を動かすことなどできないはずだ、とシュリ・オーロビンドはいう。
 なかでも最もボーム的なのは、全体性と断片についてのシュリ・オーロビンドの意見だ。シュリ・オーロビンドによると、「光り輝く偉大な精霊の王国」で学ぶ最も重要な点のひとつは、すべてが別々に存在しているというのはまったくの錯覚であり、あらゆるものが究極的には互いに結びつけられていて、ひとつの全体であるということだ。
(中略)
覚醒した明晰な意識、よろこび、それに存在すること自体の幸せなど、高次の精妙な領域ではごく当たり前のことが感じられないのは、この断片化の傾向のせいなのだ、と。

シュリ・オーロビンドさんは、スワミさんたちのなかでも断定的な表現をする。そして、ある意味非インド的なバランス感覚というか、いま生きている人だと言われてもイケちゃう感覚を持っていた人だと思います。
「断片化の傾向」とか、スピリチュアル方面ではなく、ビジネスの落とし穴の喩えにスイッチできちゃうところが好き。


<365ページ ふたたび、光について より>
 究極的には切れ目のないひとつの全体である宇宙では、無秩序というものが存在することはありえないというボームと同様に、シュリ・オーロビンドは意識についても同じことがいえると考えている。宇宙のある一点が完全に無意識であるとしたら、宇宙全体が無意識になるはずだと彼は述べており、道端にある小石や、爪にはさまった一粒の砂のことを、生命のない死んだものと私たちが見ているのなら、その見方はまたしても錯覚であり、それは断片化に対して夢遊病的に慣らされてしまってることから生じているにすぎないという。
 ボームと同じく、全体性を神性の顕現と見るシュリ・オーロビンドはすべての相対性と、縫い目のないホロムーヴメントを「もの」に分けようとすることの独断性を自覚することができた。宇宙を絶対的な事実や不変の理論に還元してしまうことが歪曲につながる、という点についてはきわめて強い確信があったため、彼は宗教にさえ反対し、生涯を通じて、真の精神性はいかなる組織や僧籍からくるものではなく、内面にある精神的宇宙から生じてくるものだと強調してやまなかったのである。

「宇宙を絶対的な事実や不変の理論に還元してしまうことが歪曲につながる」。そう。宇宙に逃げないで〜。
この最後のところ、わたしは佐保田先生と沖先生の顔が思い浮かぶんです。沖先生は「ひとりひとりの宗教」というような表現をされていたと思います。道場は、ほぼ医者としてやっていたような感じだし。佐保田先生は、グル的な扱いを受け付けなかったといいますし。


<365ページ ふたたび、光りについて より>
本の中で引用紹介されている「Sri Aurobindo or the Adventure of Consciounsess」の内容。

 私たちは、心や五感の罠から自分を切り離してしまわねばならないだけでなく、思想家の罠、あるいは神学者、教会設立者の罠、そして強力なる言葉の網や偉大なる思想の呪縛からも逃れなければならない。これらすべては、精神を形態という壁で囲ってしまおうと、私たちの内面で待ちかまえているのだ。だが、私たちは常にそれを越えていかねばならない。大いなるもののために小なるものを棄て、限りなきもののために限りあるものを棄てなければならない。そして光から光へ、経験から経験へ、さらに魂から魂へと進んでいく用意がなければならないのだ。……最も強く信じている真実にさえとらわれることがあってはならない。なぜなら、それもまた、いかなる形態、いかなる表現に限定されることをも拒む、言葉では言い表せぬものを形にし表現したものにしかすぎないからである。

オーロビンド師は「変化のなかでバランスし続けること」について説いていて、アシュラムで行なわれた手仕事がいつまでも普遍的なニーズにフィットしていたり、とにかくこう、ビジネスにすらも行き届いてしまうことを、ものすごく詩的に表現する。読んだ人が、バランスを学んで今の時代を生き抜いていくための言葉。
いかんせん他のスワミさんに比べて「おちゃめ度」が低いのでこの日記にはあまり登場しないのですが、高尚なのガシガシいけますって人にはたまらないと思う。


<388ページ 「全観的」宇宙 ── Omnijective Universeより>
 ヴァレー、グロッソ、そしてベストセラーとなった『コミュニオン』の著者であり、UFOによる誘拐の犠牲者の中で最も有名で、理路整然とした語り口の持ち主であるホイットリー・ストリーバーをはじめとする多数の研究者は、こうした現象が全観的な性質をもっているらしいことを認めはじめている。ストリーバーも述べているように、UFO内の存在との遭遇は「いわばマクロ世界におけるはじめての量子の発見なのかもしれない。すなわち、それを観察する行為自体が、それ自体の感覚や輪郭や意識をそなえた具体的な現実を創りあげているのかもしれないということだ」。
(中略)
想在的世界が日常にあふれ出てくることや、この死者の世界と私たち自身の領域との合流は、ずっと昔に予期しておくべきだったのかもしれない。というのも、ギリシア神話の詩人であり音楽家であるオルフェウスもこのように警告していたからだ。「黄泉の国の王プルートーの門の鍵をあけるべからず。中に住むは夢の人々」。

この本の中でのUFOの扱いはなかなか面白いです。


<399ページ 夢時間への回帰 より>
 チベット人は、プリブラムの考え方についてもすでにその一部を表現していた。チベット仏教の中でも最も名高い十一世紀のヨーギ(行者)ミラレパによると、私たちが空を直接に近くすることができないのは、無意識の心(ミラレパの言葉では「内なる意識」)があまりに強く「条件づけられてしまっている」からだという。この条件づけは、彼が「精神と物質の境界」とよぶもの、あるいは私たちなら波動領域とよぶものを見るのを妨げるばかりか、私たちが生と生の間に入り、もはや身体をもたない状態にあるときでさえも、自分で身体をつくってしまう原因になるという。「目に見えない天界の領域では……この幻のような心が大の悪党となる」と書いたミラレパは、弟子たちに対し、「完璧なる観察と瞑想」を実践し、この「究極的現実」を悟るように説いた。

どれ読んでもスポ根だなぁ。ミラレパたん……。そんなにスポ根なのに、詩がめちゃくちゃいいんですよね。


<401ページ 夢時間への回帰 より>
 シャーマン的思考の中にも幌グラフィックな概念は数多くある。ハワイのカフナは、宇宙に存在するすべては互いにかぎりなく結びついており、それを編み目にたとえることもできると言う。シャーマンは万物間の相互結合性を認識しているため、自分がいるのはこの網の目の中心なのだと考える。だからこそ彼は宇宙のあらゆる部分に影響をおよぼすことができるのだ(興味深いことに、ヒンドゥー思想でもマーヤの概念はしばしば網の目にたとえられる)。

こういうのを読んでいるとき、どうしても七輪の上に乗った網を思いうかべてしまって、しっくりきません。たぶんもっと細かい目なんですよね。


<405ページ ろうそくとレーザー より>
十七世紀のドイツの数学者であり哲学者であったライプニッツは、仏教の華厳宗のことをよく知っていたらしい。だからこそ彼は、宇宙は、それぞれが宇宙全体の反映を内臓している「モナド」という基礎的存在からできているのだと主張したのだと論ずる向きもある。ここで意義深いのは、ライプニッツが世界に積分法をもたらしたということであり、まさにこの積分法があったからこそ、デニス・ガボーアはホログラムを発明できたのである。

華厳の教えについてはこれまでにもちらりとは本などで学んではみたものの、まだまだ。「華厳の思想」という本の最後で紹介しているスプーンのお話がすごく好きなことと、まるでバッハさんみたいな髪型をキープしながら空海さん並に多彩な活動をされたライプニッツさんのせいで、最近興味度がぐんぐん上がっています。



守備範囲的にめちゃくちゃボリュームのある本なので、「このへんのエリア、カバーしてます」という紹介にはなったかなぁ。
うーん。すごくこう、素晴らしい本なんですよ。なんかその素晴らしさがいまひとつコメントで表現しきれませんでしたが、読解力の高い読者のみなさんのことですから(乱歩風)、これまでのご自身のなかで思ったことなどになにかしら引っ掛かりがあるのではないかと思います。


▼前半はこちら
投影された宇宙 マイケル・タルボット 著(前半)

投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
マイケル タルボット
春秋社
売り上げランキング: 10237
おすすめ度の平均: 5.0
5 深い感動です
5 世界観の転換をうながす本
5 おもしろいです
5 あらゆる超常現象がこれで説明可能になるかも知れません
5 我々は“ホログラフィック・ユニヴァース”に住んでいる