朝の通勤中にシュリー・オーロビンド師の本を読み続けて約1ヶ月半が過ぎて(英語なので、紹介しきるには年内かけての長いマラソンになりそうです)、やっと読了。いまは、ラーマクリシュナ師のことばを読んでいます。
オーロビンド師の本の中で最後に読んだ一冊は問答集のような構成なのですが、読みながら思ったことのメモがあったので、今日はそのことについて書いてみようと思います。
ここでも紹介しているとおり、インドでヨギ、聖師、聖者と呼ばれる人々の問答集のような本を何冊か買って読んできましたが、一つ共通することがある。
いつも読みながら思うこと。
すごい根性。とことん聞くし、とことん答える。まじすごい。
そしてその過程で思うこと。
分解が的確。妥協しない。追い方がとことん。厳密である。
そして結び方について、それぞれに表現やスタイルの違いはありながら、思うこと。
比喩がうまい。
そして、回答の共通点。
そのひとのなかに「ある」ことの状態に目を向けさせる。
あぶりだすんですね。
回答が明確なときもあるし(オーロビンドさんは比較的言うほう。バガヴァッド・ギーターのクリシュナもここに入る)、あぶりだしっぱなしのスタイルもある(特に、ラマナ・マハルシさんはこのスタイル)。あぶりだしたあとで解放するスタイルもある(シュリ・シュリ・ラビ・シャンカールさんはこの解放の手法がすごい。パラマハンサ・ヨガナンダさんも、分類するとここに入る)。
最後の着地は個性かな、と思いますが、そこまでの過程は共通しています。比喩の点においては、パラマハンサ・ヨガナンダさんとシュリ・シュリ・ラビ・シャンカールさんが秀逸。大喜利を見て膝を打つような感覚。分解と比喩を同時進行させながら相手に行動をさせて示唆するゴータマ・シッダールタさんクラスになると、もう圧巻。
これは、インド論法の共通点だなぁと思う。
そして、「分解」という点においては、「数学の国だな、インド」と思うことしばしば。