うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

結婚帝国 女の岐れ道 上野千鶴子/信田さよ子 著

以前会社仲間のジュリちゃん(国産)に借りた「ザ・フェミニズム」という本の感想をここに書いたら、コメントに「結婚帝国 女の岐れ道」もいいですよとすすめてくださった方がいたので、そのことをジュリちゃんに話してみたら、さっそくデスクに届きました(笑)。
せっかくユキちゃんから「結婚菌」をもらったのに、こんなの読んじゃだめだって? いえいえ。今回はすごいですよ。上野さんのスワミ発言が。その延長にベストセラーの「おひとりさまの老後」があるのかと思うと(まだ読んでいないのですが)、いきさつに深みが出るかも。
わたしは男女の役割がめっちゃ露骨なインドの家庭を見て、その後日本の状況を考えてみたのですが、なんだかお互いにいい子ぶってるうちに、男女のことについては通俗表現も法律表現もずいぶんとややこしくなったもんだ、と思うのですが、さまざまな日本語の端々に、やっぱり男社会だなぁと思う。子供の頃から不思議に思っていた日本語についても、この本の中に出てきました。
いくつか、紹介します。

<118ページ たかが脱いだくらいで何が変わるのか より>
信田:ところでわたし、アラーキーの写真は嫌いなんです。
上野:気持ち悪いですからね。どうしてだれもはっきり言わないんでしょうね。荒木の前でわざわざ脱いで、写真を撮ってほしいと志願する女が大勢いるわけでしょ。たかが脱ぐ、たかが性器をさらすということが、女にとってタブー視されるという過剰な意味付加があるからこその反動でしょう。

芸術を学ぶ大学生だった頃、(女の子のほうの)ヌード写真を撮って卒展でドーンと発表するカップルと同じクラスだったりして、「さて。これってなんかコメント必要かしら?」という気分になったことを思い出しました。この引用のくだりは、一般人が雑誌「anan」で脱いでたよねぇ、という話題とつながっています。



<162ページ 「紳士的な男」は「紳士的な軍隊」 より>
上野:そういえば、「手を上げる」って言い方があるでしょ。
(中略)
信田:「手を上げる」ってすごい言いかえだなぁ。男たちは「殴る」って言わないんだなあ、と。「手を上げる」というのは、加害者側の言葉ですよね。
上野:そうねえ。上げたら普通は振り下ろすわけですから。それを「手を振り下ろしたことはない」と言わずに、「手を上げたことはないんですよ」と言うのは、婉曲語法ではありますね。たしかに。
信田:そういう言い方で暴力がずっと語られてきたことに最近気がついて、巧妙な仕組みだなあと思いました。
上野:それはそうね。買春を売春と言いくるめるとかね。
信田:それと同じことですね。

わたしはその言葉を知ったとき、「売春」ってまるで女性側が喜んで売ってるみたいな、なにかの間違いや誤植かと思ったものです。あと、喜んでるならお金とらないよね、不思議・・・と。


<201ページ 「まだ見ぬ未来」を想像する力 より>
信田:(前略)そう考えると、妻が別れられない理由は、結婚制度、それ自体にあるのかもしれないですね。
上野:つまり、代替案が見えない、あるいは想像できないから?
信田:それって「代替案」という言葉で表現されるようなものなのかな。
上野:なんて言えばいいの。
信田:わたしは、地球外に出るような感じだと思う。あるいは、地球で生きているのに、地球上にある異次元空間に出るような感じではないかな、と思うのよね。
上野:「代替案」というのは、こなれの悪い日本語でね、わたしたちは「オルタナティブ」(alternative)という英語の日本語訳としてイヤイヤ使っています。オルタナティブには、「まだ見ぬ未来」のような意味があるんです。今、現にあるものではなくて。
信田:「まだ見ぬ未来」だ。それはピッタリだわ。
上野:それに対する構想力とか想像力がない。
信田:「力」と言うと、自分の問題になりますが。
上野:自分の問題ですよ。やはりイマジネーションは能力だと思います。

「イマジネーションは能力」名言。


<215ページ 「孤独」はすがすがしいもの より>
上野:実存の底に触れるような孤独なんて、ほんとは自己にならなければ味わうことさえできません。日本には、たいして知っている人はいないのかもしれません。だから日本には、宗教がなくて、哲学もないのかもしれません。

スワミ発言、でましたー。


<235ページ 家族に持ち込まれたPTSD より>
信田:PTSDという概念が、家族の問題に適用されるようになったことで、親子でも夫婦でも、あらゆる現象が異なって見えるようになりました。たとえば、「愛情」や「忍耐」、「よく気がきく」とか、家族の中で作られてきた既成の言葉というものがあります。マルクス流に言えば絶対的な窮乏化が長期にわたって持続し、それがあまりにも長期であるがために、窮乏が当たり前になった末に生まれた言葉としてそれらを読みかえると、いろいろな現象がひっくり返って見えてくる感じがするんです。

信田さよ子さんという人は、臨床心理士。クライエントという表現で登場する、さまざまな患者さんとの対面実例も出てきます。信田さんの語るこの部分は、わたしが初めてPTSDという言葉をきいたとき(マチャーキの離婚のときじゃなかったかな)、「気がきく、と褒められることがプレッシャー」という理屈がまったく理解できませんでした。この解説は、そんな「不思議」に明かりをともしてくれた部分でした。


<261ページ 「自己実現」という幻想 より>
信田:摂食障害の女の子たちと話している中で、いつも一番イヤなのはね、「自分のやりたいことが見つからないんです」という言葉。あんたねえ、自分のやりたいことって、見つかると思ってんのって。
上野:そうだよね。わたしもそう言いたい。
信田:わたしだって、今は自分のやりたいことをやっているよと思うようにしているけど、やりたいことなんて結局見つからなかったよって。
上野:わたしなんて、やりたくない仕事を身すぎ世すぎでやっているよと、ずっと言ってる。

見つからないよねぇ。結局、消去法で選んだことでも「やる」「やらない」の差だけと思います。


<271ページ 「かわいいおばあちゃん」イデオロギー より>
上野:人間は社会的存在でなければならないということにも、わたしは深い疑問を持ってきました。なぜわたしが生きることに、他者の承認がいるのか? なぜわたしが他人の役に立つ存在でなければならないのか? そうでなくなったときのわたしは、生きる価値を失うのか?

あるがままじゃ、だめなんかい? というこの問い。きましたね。



師と呼ばれるような人びと(インド人率高い)の言葉とつながるところがふいに出てきたりして、面白く読みました。
タイトルは「結婚帝国 女の岐れ道」なんだけど、結婚したからどうこう、独身だからどうこうって話をしているわけではなくて、幸福論を語っているわけでもなくて、「自我」のお話なんですね。全般。それが「結婚」という制度に対しての「さまざまなタイプの自我」として分析されて、語られている。しかもちょっとガールズ・トークなんですよ。まさかこんな感想を持つとは思いもしない本でした。

結婚帝国  女の岐れ道
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5 恋愛・セックス・結婚に対するデタッチメントが女性には欠けていると主張している本。
4 やりとりが面白い
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2 人は皆、自分の時代の問題を抱えて墓場に行くのか