うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨーガの哲学―パタンジャリの古典『ヨーガ・スートラ』200の格言をポーズごとに解明

ヨガ仲間が貸してくれました。ポーズもたくさん載っているのですが、ヨーガ・スートラの解説入門書としてもおすすめ。産調出版の本はわりとポーズの解説を豊富な写真で紹介していくスタイルの本が多いのですが、これはアーサナだけでなく、ヨーガ哲学の解説量もじゅうぶん。こういう構成の本は初めて読みました。バランスがいいです。
ブックカバーの内側に記載してある、以下の紹介の通りの本です。
ミラ・メータによるこの斬新な本は、ヨーガという古来の術のルーツを深く掘り下げ、その裏にある哲学がどんな重要な意味を与えているかを解説します。

単元という名称で章立てしてあり、アーサナ、呼吸、瞑想の哲学的な位置づけとポーズが交互に紹介されています。椅子や壁を使ったり、クッションを使ったり。まったく初めての人でもトライしやすいやさしいアーサナばかり。「アクロバティックなポーズは、コントロールの延長にあるだけなのよん」というメッセージが伝わってくる構成。
「あれができるようになりたい、これができるようになりたい」「やせたい」「リフレッシュしたい」というヨガへの取り組み方もそれはそれでやらないよりはいいのですけれども、どういう哲学理念でアーサナ、呼吸法、瞑想法が存在しているのかを想うことは、「ああ、すっきりした」だけでは終わらない、古のヨギたちが脈々と、ときには仏教をも通じて伝えてきた真理を学ぶ鍵。その手助けになれば、という著者のスタンスが章全体を通じてビシビシ伝わってきます。

心のメモ、共感したところを紹介します。

<45ページ ヨーガ解説:単元2 より>
(シャヴァーサナの解説文 屍のポーズ)
横になって眠った振りをしていると、さまざまなポーズの動きとストレッチの記憶を体に刻みこみやすくなります。
(シャヴァーサナの解説文 上達のために)
動きたい衝動すべてを抑えます。どこか心地のよくないところがあるなら、その理由をよく考え、体の他の部位を乱さないように慎重に調整します。目をじっと動かさないこと。こえれで心を内面に集中させておくことができます。

座っての瞑想がむずかしくても、「シャヴァーサナ=横になって眠った振り」(いやもっと、死んだふり!)への取り組み方をこうしてみるだけで、ずいぶん違う。本当に横に熊がいることを想像して、心の存在まで消しちゃうの。うちこが頭蓋骨の脱力を重視するのは、こんな理由からです。「熊、気づいてないよね・・・」と案じることもやめるんです(笑)。

<98ページ ヨーガ解説:単元5 物質とはなにか より>
 物質界の究極の根源は、サーンキヤ・ヨーガ体系が言うところの、非生命の根本自在(プラクリティ)です。すべての物質的なものは、精妙な原理に根があります。根本自在(プラクリティ)には、善性(サットヴァ)、動性(ラジャス)、暗性(タマス)の3つの属性があると言われています。物質界はこれらの属性を根本原因から受け継いでおり、3つの属性それぞれが、魂の光や智慧、動き、惑いや無智につながっているのです。
 物質にはたえず進化と退化の作用を受けています。魂には意識がありますが、物質にはありません。物質が知覚を持たないのなら、どうやって自分の力で進化や退化の作用に対して働きかけることができるのでしょう? 意識のある魂があるからにほかならない、とサーンキヤ学派は主張しています。磁石があれば鉄粉が動くのと同じことだと言うのです。

サーンキヤ哲学は元素レベルの説明に独特のたとえが出てくるなぁ、と思うのですが、これはわりとわかりやすいたとえ。

<109ページ ヨーガ解説:単元6 より>
(サルヴァーンガーサナの解説文 肩立ちのポーズ)
このポーズは、慣れるにつれて信頼できる友達のようになっていきます。感情の頼もしい支えとなり、心をなだめてくれます。

うちこも、いつも最後になだめられてます(笑)。

<130ページ ヨーガ解説:単元7 より>
(まとめ)

魂は心を見ている。だから心とは別。
無知覚の心が働くのは、魂の存在に促されるから。

知性、個性、機能、そして元素徳性からなる微細な体。
物質から進化し、魂に現世を経験させる。

心と別であることに気づかないかぎり、魂は苦しむ。
気づけばそこで解脱できる。

意識のない物質が、魂をしばり、解放する。
知覚のない牛乳が、子牛を養うためにわき出るように。

ヨガの教えで出てくる「牛乳」「ヘビ」のたとえは、いつ読んでも「うまいこというもんだ」と思います。

<131ページ 世界の源 より>
いろいろな人生
 『バガヴァット・ギーター』は、物質の「徳性」(グナ)が人生にどう働くかを説明しています。サットヴァは純粋で、明るく、健康的で、魂を愛着によって幸福と智慧にしばりつけます。ラジャスは邪悪で、願望、愛着、強欲、そして不安をもたらし、魂を愛着によって活動にしばりつけます。タマスは無智から生まれ、判断を狂わせ、活動を嫌い、魂を無頓着によって倦怠と眠りにしばりつけます。
 サットヴァ優位の人生における智慧は、すべての存在に偏在する唯一の原理に気づくタイプの智慧です。行動は結果にとらわれることがなく、愛や憎しみに駆り立てられることもありません。サットヴァに生きる人は自立しており、生まれつき勇気と気骨を持っていて、成功や失敗に影響されません。幸福は、初めは毒のようですが、最後には神酒のようになります。
 タマス優位の人生における智慧は、目的がなく、狭く、浅はかです。行動は悪影響を考慮することなく、無智に根ざしています。タマスに生きる人は満足せず、教養がなく、下品で、執念深く、怠惰で、憂鬱で、不器用です。幸福は、眠りや不精や無頓着から得られ、判断を狂わせるものです。

「行動は結果にとらわれることがなく、愛や憎しみに駆り立てられることもありません。」という方向まではなかなかいけなかったとしても、「サドヴィック」「ラジャシック」「タマシック」という言語を思考の中で常用するだけで、仕事への取り組み方はかなり変わってくると思います。「タマシックな言い分だなぁ」「おっといけねぇ。わたしったら、なんてラジャシック!」とか、そんなふうに。

<149ページ 単元9 冒頭「正直」より>
 ヨーガによると、道徳的な振る舞いというのは言葉や行動だけでなく、考えにも当てはまります。正直とは事実と一致する話や考えである、と定義されるのです。話は知識を伝えるために使われるべきものです。人を惑わせる話、あいまいな話、無意味な話ではいけません。そして他人に害を与えるのではなく、善いことをするために使われなくてはなりません。

ヨーガの教えでは、「人を惑わせる話、あいまいな話」をよくないことと、しっかり定義している。まずは言い切って意識してみることって、次のステージへの大事な一歩だと思う。

<181ページ 心の構造 より>
心の作用
 もっとも明確な心の役割は、感覚器官が受け取った情報をコーディネートすることです。言ってみれば、心はこの情報に染まるのです。心の研究はここで終わりではありません。徹底して分析したパタンジャリは、心に次の5つの作用があると考えています。(1)正しい認識または知識、(2)誤った認識または知識、(3)妄想、(4)熟眠、(5)記憶。正しい認識と誤った認識は、覚醒状態に関係しています。夢を見ている状態は記憶に含まれています。
 ヨーガによると、正しい認識の手段は3つあります。それは直接経験、推論、聖典です。

(以下、続き 3の「妄想」まで)

1.(a)直接経験とは大ざっぱに言って、一般的特徴と特殊な特徴の両方を持っている外部の客体の、特殊な特徴をとらえる認知の手段です。私たちは他の牛と同じ特徴を持っているからこそ、1頭の牛を牛と認識します。そして色や大きさなど、その牛の特殊な特徴によって、他の牛と区別します。他の牛と共通の特徴が、牛と馬を区別するときには特殊な特徴になるのです。
 (b)推論とは大ざっぱに言って、客体の一般的な特徴をとらえる認知手段です。似ているものにはあって、似ていないものにはない特徴にもとづいて行います。私たちはぬかるんだ地面についた足跡によって、農場にどんな動物がやって来たのかを推定します。色や年齢などの特殊な特徴はわかりません。
 (c)聖典とは、信頼できる人物(または書物のような類似の情報源)の言葉から得られる知識です。その人物はその認識を、直接経験または推論で得ています。

2.誤った認識は次のように要約できます。暗いところでロープをヘビと間違えた場合、それは誤った認識、つまり、あるものをそれではないものと認識することです。

3.妄想による認識。言語の中の単語は、現実と一致しているにせよ、していないにせよ、心象や概念を生み出します。たとえば、「意識は魂の本質である」という表現を例にとってみましょう。実際には、魂そのものが意識なのですが、この表現は主語と述語の関係を与えることで、魂と意識の違いをほのめかしています。「舌の先」という表現がありますが、先は舌の一部です。全体と区別された部分というのは、想像による構成概念であり、便宜上のものであって、事実ではありません。言葉は現実の象徴です。言語は象徴と象徴されているものの想像上の均衡にももとづいて働いているのです。言語を研究した古代インドの哲学者が言うように、言語は非現実にもとづいて(もつづいて、はたぶん誤植)現実を探求するための手段なのです。

パタンジャリは、心の編集力について触れているという趣旨の解説がいい。
(1)正しい認識または知識、(2)誤った認識または知識 の定義わけも、ほんと昔のインド人はすごいと思う。けど、(c)については妄信しません。

<199ページ ヨーガ解説:単元11 より>
(ハラーサナの解説文 鋤のポーズ)
他のポーズと自然につながるポーズがあります。肩立ちのポーズは鋤のポーズをしないと完全に終わった気がしません。

ほんと! この2つのポーズの流れは、クリープのないコーヒーのようなものよ!(ブラックよく飲みますが)

<203ページ 瞑想 より>
ヨーガの力
 ヨーガ行者はヨーガの道を究めている間に、超能力を身につけると言われています。そういう力は、ヨーガの最後の3部門──凝念、静慮、三昧──を実習した結果、並はずれた洞察力として身につくのです。この深い洞察力は、ふつうの視力では見えないものを明らかにする、レントゲン写真の装置になぞらえることができます。パタンジャリによると、ヨーガ行者は言葉の大切な要素を心に描くことによって、すべての生き物のコミュニケーションを理解する力を得られます。心の中の記憶の印象をじっと見つめると、過去生を見ることができます。認識作用に集中することで、他人の心を理解することができます。ヨーガ行者は、昔からよく引き合いに出される8つの力も持っています。とても小さくなる力、とても大きくなる力、重くなる力、軽くなる力、世界中どこへでも行ける力、欲しいものを手に入れる力、元素(地、火、水など)を制御する力、ものを何か他のものに変える力。要するに、この段階に達したヨーガ行者は、世界をどうにでもできるのです。パタンジャリはそういう力を長々と列挙していますが、力を得ることは偉業のように思えても、実はヨーガの究極の目標である解脱にとって障害なのだと警告しています。ヨーガ行者の気持ちを、最終目標から反らすおそれがあるからです。

障害=落とし穴。ヨーガはよくできたメソッドなので、ダークサイドに落ちると新興宗教がすぐできます。にしても、究極ベースのマントラ(オーム)を宗派の名前にするのはあんまりだよ。

<208ページ ヨーガ解説:単元12 より>
一連のポーズ全体で蓄積される心理的な効果には、深いところまで変える力があり、外に向いていた心を内に向くように導きます。
最後に、体が楽になって心が静まったところで、心が呼吸に集中する準備が整います。
第1ステップは呼吸を意識し、観察することです。それには目を閉じて、内なる視覚、心の目を使う必要があります。リズム、量、間隔、感じ、鼻孔の通り、両肺の反応、これらすべてに注意を向けることで、呼吸のことがよくわかるようになります。秘められた計り知れない力ではなく、分析できる対象になるのです。そうやって知ることで、コントロールできるようになります。

「リズム、量、間隔、感じ、鼻孔の通り、両肺の反応」これらは、ジョグ瞑想と歩き瞑想の重要ポイント! これもそのうち書きますね。


ぜんぜんハンディな本じゃないのですが、もしまだそんなにヨガ本を持っていなくて、古来の教えも学びたいなら、「家庭の医学」と同じノリで常備するのにおすすめ。最後に、「ヨーガ・スートラ」関連でこれまでに読んだ本へのリンクを添えておきます。

ヨーガとサーンキヤの思想―インド六派哲学 中村元選集 決定版
(ヨーガ・スートラの解説を収録。しかも、中村元先生!)
ヨーガ根本教典 佐保田 鶴治 著
(第一編「ヨーガ思想入門」、第二編「解説ヨーガ・スートラ」、第三篇「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」)
続・ヨーガ根本教典 佐保田 鶴治 著
(「ゲーランダ・サンヒター」と「シヴァ・サンヒター」)
バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳

ヨーガの哲学―パタンジャリの古典『ヨーガ・スートラ』200の格言をポーズごとに解明
ミラ メータ Mira Mehta 大田 直子
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