うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

からだはみんな知っている カワムラタマミ 著

やさしい文章とかわいらしい装丁ですが、たいせつなスタンス表明はしっかり、何度も登場します。
読む人の立ち位置や研究意識によって評価はさまざまだと思いますが、わたしはヨガ目線で、「ほんと、そうなんだよなぁ」と共感する内容でした。
この本は読みやすいけれど、マッサージのノウハウ本ではなく、マッサージ哲学の本。「口あたりはまろやかだけど、身体論のダシは効いている」ので、いきなり整体の本は難しそう、と思っている人にぴったりですよ。
OLさんが電車の中で読んでいても、バッグからこぼれ落ちても問題のない、かわいい装丁です。(ヨガの名著の表紙デザインは、なんとなかならんものか)

<166ページ 今の自分を越えていく より>
「全然肩なんてこらないんです」という人も、人にふれてもらうと、初めて自分のこりに気づいたりします。こりすぎて、感じなくなっていることもあるのです。自分がふれる時には痛い部分を無意識に避けているのかもしれません。
 マッサージは、自分に気づくための手段のひとつだと思います。人にふれてもらうと、こんなにここが固かったんだ、こんなところが冷えていたんだと気がつきます。自分の意識がふれてもらっているところへ瞬時に届きます。それが流れを助けることにもつながるのです。
 こころも一緒です。人と接することで、「こんな風に自分が感じるなんて驚きだ」とか「自分にこんな一面もあったんだ」と気づくことがあります。
 自分の認めたくない自分は見ないようにしてしまいがちです。今日自分が知っている、わかっていると思っている自分は、もちろん本来の自分だけれども、もっともっと、未知の部分があるのです。
 未知の自分を探求するために必要なものは、受け入れる勇気です。

五木寛之さんのエピソードを思い出す。

<122ページ ふたりでクラニアルセイクラル より>
ラニアルセイクラルは、気功ではありませんから、気を送るわけではありません。また、エネルギーワークと呼ばれるものとも違い、人に与えたり、もらったりするものでもありません。
 ただ、そこに施術者とクライアントが、施術部分でかかわり、存在しているだけです。そして、両者は、接している部分以外には、「あなたはあなた」「わたしはわたし」で、分離して存在していることを、いつも忘れないでください。

前半は野口先生と同じことをおっしゃっていて、後半はもっと言ってる。
始めた頃は元気が出る魔法のように思っていたヨガも、いつの間にか「ヨガはエネルギーワークではない。ただのものさし」というものに変わっていた。なので、いま共感するのはこのスタンス。

<40ページ いそがしすぎる毎日に より>
 もし軽くなったなら、それは、夜空を見上げたことで、首が伸びてのどが開いたからなのです。呼吸が楽にできるようになります。のどを守ろうとしていて上がっていた両肩も呼吸と共に下がって、本来のきちんとした位置に落ち着いてきます。

首の皮の刺激のこの気持ちよさって、なんだろうねぇ。よくタモさんもやるね。ヤンキーが斜めにアゴ上げるのも、あれは皮を伸ばしてちょっとほっとしてるんじゃないかと思ったりする。斜めの角度って、すごく気持ちよいから。

<85ページ ショックなことがあった日に より>
 予期せぬ事態が起こった時、例えば、突然傷つくことを言われたり、相手の言動にぐっと怒りをこらえたり、いきなり緊張する場面に立たされたりした時、そんな時は自分を守ろうとして、一瞬息をとめてしまいます。こころがぎゅっと縮こまり、からだ中が固まったかんじがします。
 なかでも、奥歯とふくらはぎにぎゅっと力が入ります。

ふくらはぎって、おもしろい部分なんですよね。いつか書く書くといいつつ書いてないけど、性的な本性がすごく出る部位と思っています。もう1年くらい研究しようかな。

<106ページ 人間関係に悩んだら より>
 自分のことを考える時って、どんな時ですか。何かしらの問題にぶつかった時。とんでもない失敗をしてしまったと頭を抱えた時。たいてい、ネガティブな展開になった時に、自分について考えてしまいます。そんな時、肩甲骨はぎゅっと固まって呼吸も浅くなっているのです。

ダンサーの友だちは、撮影の前にすごく肩甲骨の間が硬くなっている。菱形筋が乾燥ワカメ状態。集団での動きなので、「自分がマズったらどうしよう」というプレッシャーなんだろうな。

<120ページ 大切な人へのマッサージ ここに気をつけて より>
 このささやきマッサージの一番大切なことは、あなたの力で相手を明るくしてあげよう、変えてあげようと思わないことです。あくまでも「第三者」でいることが大切です。

あなたの身体をわたしが持ち上げてどうする、という話。

<123ページ 実践! あたまのクラニアルセイクラル より>
ストレスや物事をいつも頭で判断したり考えている人は、左側のみ、大きく広がるかんじがするでしょう。

上下型だっ。たしかに頭皮ってコンディションがある。倒立してちょっと力点をナナメにすると気持ちよかったり。(よい子はいきなり真似しないで、身近なヨガの先生に教わってくださいね)

<124ページ 実践! あしのクラニアルセイクラル ここに気をつけて より>
・最初に相手の状態をよく確かめることが必要です。
・既存の病気で病院に通っていないか、薬を服用していないか、アルコールやたばこ、あるいは薬物の依存症ではないかを、チェックしてください。過剰に反応してしまう場合があるからです。

ふうむ。と、ここは興味深かった。アル中の父は膝裏の、太い血管(内側のほう)の反応っぷりが異常。魚みたいにピチピチすることがある。

<125ページ 実践! あしのクラニアルセイクラル より>
 クラニアルセイクラルを通じて、人との距離の取り方がわかってくると、共依存のこともからだを通して理解できるはず。相手は相手のまま、自分は自分のままでいて、かかわることの気持ちよさを、ただ感じましょう。
 依存させない、依存しない、でも、かかわっているという姿勢は、からだだけでなく人間関係にも必要なのかもしれません。まずは、からだで体験してみてください。

寄り添うということ。

<147ページ 勇気の出ることば「3つのあ」より>
 自分のことが信じられずに不安にのみこまれそう。そんな時、思い出してほしい言葉があります。それは「3つのあ」という言葉。


 あきらめない
 あせらない
 あてにしない

沖先生の「信じるな 疑うな 確かめよ」の最後の腰が上がらないとき、「あてにしない」のクッションはいいかもね、と思った瞬間すぐに「確かめない。そして、あてにしない」って最強かもと思った。
「確かめる」ってのは、すごくシンプルで「確かな」ソリューションだね。


はじめにも書きましたが、この本は「やさしくまろやかな口あたり」なので、いわゆる自分を煙に巻くことにも使えてしまう。薬にするも毒にするも、毒はちょっと気持ちいいから気をつけて。
「かわいい顔していやなこと言うなぁ」くらいのスタンスで読めたら、薬になると思います。