うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

リトル・トリー フォレスト・カーター著

レイム・ディアー ― ヴィジョンを求める者」の感想を書いたときに、お友達のユミコちゃんがコメントで教えてくれた本です。表紙を見て、なにかの雑誌の書評で10年以上前に見た印象を思い出しました。
「いまこの本を手にとって良かった」と思う、チェロキー・インディアンの教えの数々。このお話は、5歳で両親をなくした少年が祖父母に引き取られて教育されていく物語。
「目の見えなくなった犬と、老いぼれた犬を二匹一組で働かせ、それぞれの役目を双方のモチベーションにつなげること」や、「鳥を捕まえるときは、逃げ遅れた最後の鳥を選ぶのが掟。強い子孫は生き継がれていかなければいけないから」など、少年は自然のなかで祖父母から多くのことを学んでいきます。成長にあわせて、モカシンの皮を祖母が伸ばしてリサイズしたり、ウイスキーの密造工程を学びながら、その「濃さ」の配分で算数を学んだりもします。

なかでも、特に印象に残って、心にメモしたかったことが、ふたつ。

<105ページ ぼくの秘密の場所 より>
祖母は話し続けた。
「だれでも二つの心を持ってるんだよ。ひとつの心はね、からだの心(ボディー・マインド)、つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。からだを守るためには、家とか食べものとか、いろいろ手に入れなくちゃならないだろう? おとなになったら、お婿さん、お嫁さんを見つけて、子どもをつくらなくちゃならないよね。といういうときに、からだを生かすための心を使わなくちゃならないの。でもね、人間はもうひとつ心を持っているんだ。からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。それは、霊の心(スピリット・マインド)なの。いいかい、リトル・トリー、もしもからだを守る心を悪いほうに使って、欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手を利用してもうけようとしたりしたら、霊の心はどんどん縮んでいって、ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。
(中略)
そうなったら、生きてるくせに死んでる人ってことになるの。いくらでも見つかるわ。そういう人はね、女の人を見るといやらしいことしか考えない。他人を見ると、なんでもケチをつけたがる。木を見ると、材木にしたらいくらもうかるかってことしか考えない。きれいなことなんかちっとも頭に浮かばないのさ。そんな人がうようよしているよね。
霊の心ってものはね、ちょうど筋肉みたいで、使えば使うほど大きく強くなっていくんだ。どうやって使うかっていうと、ものごとをきちんと理解するのに使うのよ。それしかないの。からだの心の言うままになって、欲深になったりしないこと。そうすれば、ものごとがよーく理解できるようになる。努力すればするほど理解は深くなっていくんだよ。
いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。理解してもいないくせに愛しているふりをする。それじゃなんにもならない」

霊の力を筋肉にたとえ、使えば使うほど大きくなっていくと。素晴らしい。

<248ページ 教会の人々 より>
祖父が言うには、人はただなにかを与えるよりも、そのつくりかたを教えてあげられたらなおいい。そうすれば、相手は自分の力でうまくやっていくだろう。与えるばかりで教えなければ、一生与えることになりかねない。それでは親切のつもりがあだになる。相手はすっかり依存心を起こし、結局自分自身を失ってしまう。

ということを、家事で家具を失ったよその家の家族に、祖父がすわるところに鹿皮のひもを張ったいすをプレゼントし、主につくりかたをくわしく教えた後にリトル・トリーに話しています。素敵な場面。



そしてリトル・トリーは、祖父・祖母から引き離されて孤児院に送られるのですが、そこで虐待を受けます。

<300ページ 天狼星 より>
院長先生はむちを振り上げ、ぼくの背なかをむちゃくちゃに打ちはじめた。初めのうち、気絶しそうなくらい痛かった。けれどもぼくは泣かなかった。祖母が教えてくれたことを思い出していた。以前ぼくが足の生爪をはがしたとき、祖母はインディアンが苦痛をこらえる方法を教えてくれた。それは、からだの心(ボディー・マインド)を眠らせ、からだの外へ霊の心(スピリット・マインド)とともに抜け出して苦痛をながめる──感じるかわりにじっとながめるというやりかただ。

(このいきさつは、孤児院での授業の場面にさかのぼる)

<297ページより>
あるとき、彼女(孤児院の先生)は教室で一枚の写真を見せた。鹿が二匹、浅い流れを渡ってくるところが写っていた。うしろの鹿は前を行く鹿の背に跳び上がり、二匹もつれ合うように岸辺に向っている。先生は「鹿がなにをしているかわかる人は?」と質問した。
ひとりの生徒が答えた。「なにかに追われているんです。たぶん猟師から逃げているところです」別の生徒は答えた。「鹿は水が嫌いだから、早く渡ろうとあせっているんです」先生は「よろしい、そのとおり」と言った。ぼくは手を上げた。
「鹿はつるんでるんです」とぼくは言った。「だって、雄鹿が雌鹿のうしろから跳びついているんですから。それに、木ややぶのようすを見れば、鹿が交尾する季節だってこともわかります」


これが、「けがらわしい私生児」として虐待を受けるきっかけになる。


リトル・トリーは、孤児院へ政治家が慈善活動で大きなクリスマスツリーとプレゼントを届けに来たとき、先生から「お礼を言いましょう」といわれたときも、

ぼくは黙っていた。木を切るなんて、まったくどうかしている。その木は男の松の木で、ホールでゆっくりと死にはじめていた。

と描写する。

アマゾンの書評にはいろいろと書かれているけれど、これがフィクションであろうが、著者がどんな人物であろうが、ここで引用させていただいたような「教え」そのものは文学として残されたもの。それがインディアンのものであろうが、どっちでもいいと思う。ベストセラーだし、打たれない「出る杭」はないってことなんだろう。
いま書店で多くのスペースをとっている「人材マネジメント論」にだって引用できそうな内容であり、整体やヨガを通じて子育てを語る、愛すべき諸先輩がた、およびスワミのみなさんとだって共通するようなメッセージだ。
でも、それを5歳のインディアンの少年の物語として語られる言葉には、圧倒的な魅力がある。大人になって読んでみてよかった。素敵な教えであり、すぐれた文学書です。

普及版 リトル・トリー
普及版 リトル・トリーフォレスト・カーター

めるくまーる 2001-11
売り上げランキング : 84878

おすすめ平均 star
star著者が架空であっても
star先住民の世界観に対し抱く憧憬を描いたフィクション
starホンモノのニセモノ, 嘘の中の真実

Amazonで詳しく見る
by G-Tools