うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

真の独立への道 ― ヒンド・スワラージ M.K. ガーンディー 著 / 田中敏雄 (翻訳)


読者と編集長の対話形式ですが、どちらも書いているのはガンジー。この質疑応答が、グイグイ鋭い。自問自答が鋭い。
このテキストは40歳のときにイギリスからの帰路の船の中で、船会社の便箋に母語グジャラーティー語で書かれたものだそう。それが追々、自身が主宰する週刊誌『インディアン・オピニオン』のコラムで活字になり、あとで単行本としてまとめられ、インドでは発禁処分となり英語訳を決意。ドイツ人の友人によって訳されたという経緯があるそうです。
対話の中で東インド会社が「勇者カンパニー」というニックネームのような名前で呼ばれていたり、独特のトーン。シリアスになりすぎたらこの状況に負けてしまう、そんなふうに考えていたのかなと思う箇所もあります。質問の設定はすべて「イギリスに対するおびえ」「イスラームに対する劣等感」という、ヒンドゥー教の人々の深いところを丸裸にするもの。切り込むどころの深さではない。焼き魚を骨の隙間までものすごくきれいに食べる人の箸のあつかいのような、そんな構成です。読み出したら止まらないほどスリルがあります。


イギリス人たちの自治個人主義について、回答者(編集長)としてこのように語ります。

イギリス選挙人の聖書は新聞になってしまっています。選挙人はその新聞で自分の意見を決めます。新聞は不正直なものです。一つのことを二つにして出します。
(五 イングランドの状態 より)


二人のイギリス人は同じではありませんが、私たちインド人は同じでしたし、いまでもそうです。
(九 インドの状態<続> ── 鉄道 より)

ヴェーダーンタ思想が根っこにある感じが、ありありとある。


当時のヒンドゥー教の人たちのメンタルには、こういう追い込まれたような部分もあったのだな…、と、うかがい知れる箇所もありました。
(以下の両社会は「ヒンドゥー」と「イスラーム」)

読 者:イギリス人たちは両社会を本当に相いれさせることができるでしょうか?
編集長:それは臆病者の質問です。その質問は私たちの劣等感を示すものです。二人の兄弟が一緒になろうとすれば、誰が仲を割けるでしょうか? もし二人を第三者が争わせたら、その二人の兄弟を私たちは愚か者というでしょう。同じようにもし、私たちヒンドゥー教徒イスラーム教徒が愚か者となれば、イギリス人に罪を着せることはありません。
(一○ インドの状態<続> ── ヒンドゥー教徒イスラーム教徒 より)

この質問者(読者)の設定は、弱気になるヒンドゥー教徒。日に日に「主体性を捨ててラクになりたい。もともとイギリス人が来る前から感じていたイスラームに対しての思いも、ぜんぶイギリスのせいということにしてしまえばいいじゃないか」と考えるようになっていく心を、ガンジーは重々、理解しているんですよね…。



そのうえで、こうくる。(以下、編集長の発言部分)

インドをイギリス人が取ったのではなくて、私たちがインドを与えたのです。インドにイギリス人たちが自力でいられたのではなく、私たちがイギリス人たちをいさせたのです。それはどうしてか、それを見ることにします。あなたに思い出してもらいたいのですが、私たちの国にイギリス人たちは、本当は商売をするためにやって来ました。あなたの勇者カンパニーを思い出してください。カンパニーを勇者に誰がしたのですか?
 気の毒なイギリス人たちには支配する気持ちはありませんでした。カンパニーの人たちを助けたのは誰でしたか? カンパニーの人たちの銀を見て誰が誘惑されましたか?
(七 インドはなぜ滅んだか より)

「勇者カンパニー」は東インド会社のこと。自ら進んで支配されたがるような、そういうところはなかったという自問自答。



そして弱体化した自立心を、さらに分解します。(以下、編集長の発言部分)

 イギリス人が寝具や手荷物を持って立ち去ったら、インドは孤児となってしまうと思ってはなりません。このようになったら、イギリス人にこれまで抑えられていた人々が争うようになるかもしれません。腫れ物を抑えるのはなんの益もありません。避けて膿が出るのがいいのです。ですから、もし私たちがたがいに争うように運命づけられているのなら、争って死にましょう。弱者を助ける口実で他人が介する必要はありません。
(ニ○ 解放 より)

ここは「生きるのは、生き残るのは、自分だろ? いつの間にか、生きてやってるみたいなことに、なってない?」と問うかのよう。



他の本でもそうだけど、ガンジーはどこまでも身体論でくる。以下はメモせずに入られないほど、ドスンとくる。

力は恐れないことにあるのです。身体に肉の固まりが付いていたからといって力が出るものではありません。
(八 インドの状態 より)

で、自分の力はいつ使うのさ。
そんなふうに、「インドの心」を分解して喝を入れていく。どの章の問答もことごとく鮮やか。


8月15日は「日本悲しい日、インド楽しい日」なのだけど、インドが楽しくなる前は、こんなに国民の主体性が崩壊していたのか…。と驚く。
わたしはいまの日本の感じは、メンタル面で「真の独立」に向かっているような気もしている。日本人同士で争っているのは、膿が出ているのだと思えば。