うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

励ますつもりで書いたわけじゃなかったけど

先日ヨガの練習でお会いしたかたが、10月に書いた以下の長い文章を読んでくださったそうで「励まされた感じがしました」と、リアルで気持ちを聞かせてくれました。

これは誰かを励まそうと思って書いたわけではなかったのだけど、言葉にするのは大変だったので「正直とても苦しみながら書いたので、そう言ってもらえると、書いた甲斐がありました」とお伝えしました。

 

 

わたしが現在の自分のことを一旦振り返ってみたのは、ヨガのメリットを語る際によく見る「ヨガが人生を前向きにしてくれた」という話の組み立てのなかで、粒度の細かい話がされないと、結果として高揚感を追い求めるヨガに見えてしまう。あの感じを回避しながら書くということにトライしようと思ったからでした。

 

ヨガにハマったりヨガのコミュニティでウェイウェイした記憶の積み重ねと勢いで書かれたものって、それはそれで読んでいると楽しそうで希望が持てて良いのだけど、実生活も含めたらもちろんそれだけじゃありません。ヨガをはじめる前から続いている自分の立場があります。

そうすると、ものすごく個人的なことを書くしかなくて。「前を見ているつもりが、思いっきり逆走してたの!」みたいなことも書かなければならなくなって、それを書きました。

 

 

 

この感じを別の言いかたで喩えると、

30代までのヨガは「のぞみ」だったんです。

 

 

 

   大阪まで、のぞみで2時間半で到着しました

 

 

 

っていうと、静岡も三河安城米原も、存在しないみたいじゃないですか(ものの喩えよ。ごめんなさいね)。

だけど、確実にその駅も通過しています。存在を通過しています。

それに、「こだま」「ひかり」にも乗ったことがある。だから駅の存在を知っているんです。なのに、まるでないかのような調子で語ると、大切なものをカットした感が残る。

 

 

ヨガをはじめてハマった頃は「大阪到着!」がまず大切で、行動力を積極的に使っていくことをしていました。

世の中がそう単純ではないことを学んでいく過程が30代で、大阪の存在を確かめに行っていた。

 

 

 

だけどそもそも、新幹線も単純じゃない。そういうことがわかってきます。

新幹線は時短を目指したものだけど、その前に市区とのドロッドロの交渉も取引もあって、駅を決めて、濃い物語がたくさんありますよね。

わたしの場合、ヨガをはじめてからの人生のなかでいくつか「他の人がスルーするあの駅に降りて、ガッツリご飯を食べてたことがあるの」という経験と気持ちがあります。

なので、ヨガのわかりやすい目的地として目立つものを取り上げて

 

 

   大阪まで、のぞみで2時間半で到着しました

   新幹線って、便利で快適で、すごいテクノロジーですね!

 

 

みたいに書かない方法が、その模索が必要だと思いました。

(「新幹線」を「ヨガ」に置き換えてみてください)

 

 

これから年齢を重ねて、もし80歳や100歳まで生きたら、わたしの人生のいろんな駅の存在が、苦悩が、シャーっと通過した感じになる。

だけどいまの年齢ならまだ、こだまの停車駅のことも覚えています。

 

 

覚えているけど外に出すには負荷のかかる記憶がたくさんあるなかで、書けることを書こうと思いました。書いているときは孫悟空の頭の輪っかがお経を唱えられてギュイーンと締められるような、ああいう痛みが、頭と胸と喉にありました。

こういうとき、チャクラの位置と役割を発見したインド人のすごすぎる観察眼に畏怖を抱きます。判断と逡巡の瞬間って、喉を詰めるんです。純粋性を司るチャクラの位置が、ぐっと硬くなります。そしてその上下にある、眉間の奥と胸のチャクラの位置も反応する。

 

 

 

それでも書いてみたのは、わたしが年配の人を見ていて思うことがあったからでした。

わたしがヨガの、あるいは人生の先輩の話として聞きたいのは、名古屋や大阪のような大きな駅の話じゃない。ここで偉大な師に会いまして! とか、ここで引き寄せかのように流れが変わりまして! という部分じゃない。

聞き手としては、その前にその人が拗ねてたところ、変わるチャンスかもしれなかったけれど、その時は変わらなかったところが聞きたい。

え・・・、ちょっと、いま一瞬出てきてシャーッと通過した三河安城の話、もうちょっと詳しく聞きたい。実はもう名古屋や京都や大阪の話は聞き飽きてるの。

おじいちゃん・おばあちゃんの結婚式の話よりも、3回目のデートの話のほうが、覚えているなら聞きたくありませんか?

 

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いまや、instagram にも文字入りの動画を載せたり長文を書く人がいる時代です。

コンテンツ過多・教えたがり屋さん過多の時代にブログを読んでもらえているって、本当にありがたいことです。そんな思いもあって書きました。

いつも読んでくださり、どうもありがとうございます。