『追憶』という1973年のアメリカ映画を観ました。
現代と照らし合わせる材料があふれていて、「観たことある人いるー?」という気持ちになり、ここに書きたくなりました。これはいま観たら、きっと、とってもタイムリー。
ラブストーリーの体裁を取りながら、なんのなんの。
昭和史の時代のアメリカを感じるのに、オシャレすぎる教材です。
「人生は、このようにマッチングしないもの」という要素の中に格差の問題や人間の本能というのかな、人間のダメさが詰まっていました。
- 当時の ”思想狩り” とトランプ政権社会がダブって見えた
- 差別感情やルッキズムに対する “正直さ” の話に見えた
- まじめ女子がホルモンの力に翻弄されるのを見るのがつらい
- 意見が言えないと、意見のない人ってことになっちゃう?
- 大学時代のヒロインが田中眞紀子氏に似て見えた
- ・・・などなどのことをラッピングする音楽の力
当時の ”思想狩り” とトランプ政権社会がダブって見えた
1950年代の思想弾圧をこんな形で振り返る名画が1973年に制作されて、さらに約50年後の現在、2025年にこうなってるのかアメリカ・・・という現実が肌で感じやすい映画です。
表現者の活動場所に盗聴器が仕掛けられ言論弾圧を受けた(マッカーシズム)の状況が描かれています。
これまでわたしはアメリカのIT企業がトランプ大統領の発言に腰巾着のように素早く意思表明をしていく様子に「どういうこと?」と思っていたのですが、監視・調査をされて突然不利になる展開や大きなダメージを避けるためには、経営判断としてはそうなるのか・・・、という見え方に変わりました。
差別感情やルッキズムに対する “正直さ” の話に見えた
この映画を観たきっかけはGWに観たアメリカのドラマSATCがきっかけでした。ドラマの中で、この映画への言及がありました。
その言及の流れ自体は表面的な話に留まっていたのですが、なかなか粋な引用です。
男性の本音は「やっぱり同じ空気吸ってて従順な女がラクだ」という結論。なんだけど、ロバート・レッドフォードのビジュアルがその現実を相殺するだけの力を持っている。
同時に、心が強いはずのヒロインに対して「結局爽やかイケメンのためならそこで腕まくりしてしまうんかーい!」というツッコミを成立させています。
まじめ女子がホルモンの力に翻弄されるのを見るのがつらい
いやー。それにしてもあれよ。正味な話。あたしゃ、あの手料理を振る舞おうとする時の会話の女子の張り切りとイケメン男子のテキトーさに地獄を見たね。
それをめっちゃ早口で喋る演技で表現したり、イケメン男子の目線の下げかたがリアルだったり、めちゃくちゃ計算されてる。
「けなげ」という言葉は「健気」って書くけど、あれはやっぱり、ちょっといやな言葉。元気の使い方が健常じゃないって意味だもんね。
それが恋の病なんだけど。
意見が言えないと、意見のない人ってことになっちゃう?
なんと言っても、この映画が突きつけてくるのはこの命題です。
意見が言えないと意見のない人にはならない、そもそも意見を求められない人間関係の中で生きている男性に恋をする女性が、たとえダサく見えても自分の意志のエネルギーを殺さないのが、やっぱりいい。
観察力と表現力はあっても意志はない、という男性の人格の描き方も絶妙です。
どーしたって精神的にミスマッチであることを何度も何度も見せつけてくれるこういう映画って、あんまりない気がします。
大学時代のヒロインが田中眞紀子氏に似て見えた
わたしの友人にひとり「わたし田中眞紀子大好きなんだよね」という人がいます。
若い頃に長くアメリカに住んでいてここ20年くらいは日本に住んでいる、ほぼ同年代の人です。彼女はこの映画観たことあるかなぁ。
同じくアメリカ住まいの経験があってこの映画を観たことがあるという別の人に、「あの女優さん、田中眞紀子に似てない? あの大学での演説の場面とか、特に」ときいてみたら「なんかわかるかも」と言われたのでここに書いてみました。
・・・などなどのことをラッピングする音楽の力
音楽が有名な映画なんですよね。しかもヒロイン役の人が歌っています。
田中眞紀子似の政治色の強いヒロインが非の打ち所のないイケメンと恋に落ちて素晴らしい歌を歌い上げて終わる。
なにこの映画!