うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

サンダカン八番娼館 山崎朋子原作/映画:熊井啓監督

今年の夏に映画館で『サンダカン八番娼館 望郷』という映画を観ました。1974年の映画です。

帰国後の "からゆきさん" を演じた田中絹代さんは、この作品でベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞されたそうです。

冒頭の取材者(原作著者)との出会いのシーンから、もう本当にからゆきさん本人にしか見えない。九州地方の村落暮らしの日焼け、痩せた姿、自分の過去を閉じ込めて他人のことを詮索しない人柄、セリフ回し。ものすごい演技。

 

 

話の内容が強烈だったので、原作のノンフィクションも読みました。

先に映画を観ていたので、重すぎる部分は田中絹代さんの印象で中和されつつ、映画では明示されなかった部分を原作で確認しました。

田中絹代さん演じるおサキさんは、明治時代に天草から船で売られていった少女売春婦。若い頃の役を高橋洋子さんが演じ、彼女を取材した著者の役を栗原小巻さんが演じています。

 

 

原作で知った詳細

 

  • おサキさんが客を取ったのは13歳。売られたのは9歳か10歳。初潮があったのは20歳を過ぎてから。34歳か35歳で閉経。
  • 生理中も「紙ば詰めろ」と言われて普段と同じ仕事をしていた。
  • おサキさんが料理の仕方をまったく知らない。少女時代から娼婦をしてきて、料理や裁縫を習っていない。
  • 映画にはお兄さんしか出てこなかったけれど、実際はお姉さんがいて、お姉さんはラングーンシンガポールジャワの女郎屋と移っていった。
  • 取材者の著者には顔に傷害事故で受けた傷があって、過去について訊かれたくないことがある人の気持ちがよくわかる。

 

サキさんは生理のあった15年の間に、息子をひとり出産しています。息子さんはご自身が結婚をするときに、母親を恥ずかしい存在として退けます。

からゆきさんのしんどさは身体面のリスクだけでなく、少女の頃から稼いで親族へお金を送ったのに、帰国後に一族・地域の恥部として扱われたこと。

原作本には、帰国せずに一生を送ったり、日本からまた東南アジアへ戻っていったからゆきさんの取材もありました。

 

 

映画を観るまで「からゆきさん」を知らなかった

わたしはこの原作に出てくるコタキナバル、マレーシアへ行ったことがありましたが、コタキナバルの北にあるサンダカン港のことも、からゆきさんのことも知りませんでした。

少女女工を機械のように使った野麦峠の娼婦版みたいな世界。過酷な人生です。

 明治時代の初期から大正時代にかけて東南アジアへ流れ出て行った海外売春婦は、おそらくその九十パーセントが平仮名も書けない文盲であり、当然ながら、彼女らがみずからペンを執ってその生活の実情と苦悩とを訴えるということはできない。かりに彼女らに文章が綴れるとしても、たぶん彼女らは、沈黙を守って一行も書かなかっただろう。

売春生活の機微にわたって書くことに、女性としての抵抗感がつきまとうということもあるが、売春生活を告白することが家または一族の恥になるという思念が、何よりも大きな障壁となったからである。

(底辺女性史へのプロローグ より)

 折しも明治時代の日本は、長かった鎖国の解けたという反動もあって、海外へ、海外へと出稼ぎ地が拡張されつつあった時であり、実際、日本内地よりも海外に出かけたほうが一攫千金の夢を実現しやすかった。加えて、四囲を海に囲まれ、中国大陸や東南アジアと距離的に近い天草島では、海外へ出かけることに、本州の人間ほどの隔絶感を抱かなかったということもある。

(からゆきさんと近代日本 より)

これらのことに関連づけて、著者は製糸・紡績女工や越後芸者などの例も挙げています。

わたしは『あゝ野麦峠』を観たのが3年前で、日本の近代史に疎いまま大人になりました。今さらですが、知ることができてよかったです。

 

 

この本では、売春生活の機微がおサキさんの口から語られています。

映画でも田中絹代さんがそのセリフを言っていましたが、内心「早う済まして帰れ」と思っていても「サービス」として声を出すこともあったとか、普段は客はだいたい一晩で5人ほどだったけれど、サンダカン港に日本の船が到着した日には娼婦一人あたり30人の男性の相手をしたと。

映画では大量の水平服を着た男性たちが娼館に押し寄せ、まるでお祭りのように楽しそうにしながら、笑顔で娼婦に「お世話になります!」と挨拶をしていました。

 

 

映画では、初めてお客をとったきの相手が刺青だらけの外国人(たぶん、現地の人という設定)で、見た目は怖いけれど人格が捉えにくく描かれていました。原作を読んだら現地の人をおサキさんは土人と呼び、各国の客の特性を語っている箇所がありました。

土人は)みんな、良か者の気性ば持っとった。あれのほうも、あっさりしとって一番よか。

── 土人にくらべて二番目によかったのは、メリケンやイギリス人じゃ。支那人は親切ではあるばって、あれが長うてしつこうて、ねまねましとる。日本人はな、うちらにも内地が恋しいか気持のあるけん、誰もが喜んで客に取ったが、ばってん、客のなかで一番いやらしかったのと違うか。うちらの扱いが乱暴で、思いやりというもんが、これっぱかしも無かったもんな。

(おサキさんの話 より)

この本は、現代では問題視されそうな取材方法かもしれないけれど、書かれていることはそこまでしないと聞けない話ばかりです。

 

 

取材者とおサキさんの交流

映画では原作者役を栗原小巻さんが演じており、顔に傷はありませんでしたが、実際の原作者はひと目でなにか大変なことがあったんだな、とわかる顔の傷を持っていたそうです。

映画の中ではその傷の話がないまま、人にはそれぞれ事情があるものという関係性がうまく再構築されています。

取材の最後で、著者はそれが取材であることを明かさずにずっとサキさんと一緒にいて、自分のことを話す前に、サキさんに「わたし(取材者)がどんな身元の人間だか知りたいとは思わなかったのか」とたずねます。

これに対する返答の場面で、終盤で映画館内が嗚咽の嵐になっていた田中絹代さんのセリフは、原作の中にそのままありました。こんなセリフでした。

「人にはその人その人の都合ちゅうもんがある。話して良かことなら、わざわざ訊かんでも自分から話しとるじゃろうし、当人が話さんのは、話せんわけがあるからじゃ。おまえが何も話さんものを、どうして、他人のうちが訊いてよかもんかね」

 

この言葉を受けての著者のモノローグは映画になかったと思うのですが、このように書かれていました。

 たしかに、人間というものは、話して解決の道の見つかりそうな悩みなら他の人に打ち明けることができるが、解決の方法の見つからぬ苦悩や秘密であればあるほど、他人に話せないのが普通である。

(さらば天草 より)

わたしは苦しみについて、「ひとりで抱えないで」と言われても、抱える状態になっているときは抱えるしかないと思い込んでいるのだから、直接「抱えないで」と言葉をかけることに意味があるのかと考えることがあります。

映画の序盤でギョッとした、最初の出会いの場面の不躾さ(取材者の同行者が、サキさんに「もしかして、からゆきさん?」と直球な質問をする)も、映画と原作を読むことで、ああなるほど、この関係性を強調するために映画ではこういう文脈に落とし込んだのか、と納得します。

 

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余談:女性の裸の消費

わたしは1970年代の日本映画があまり好きではありません。

客寄せのために人気のある女優さんが裸になり、それを「体当たりの演技」とする風潮が苦手。この映画もそうでした。

この物語は女性の身体の消費に対する問題を扱っていて、女優さんが裸にならなくても成り立つほどよくできているのに、当時前年に朝ドラで人気を博したという若い女優さんの裸のシーンがあります。

 

当時はそれがないと「なんだよ・・・」「お目当てにする餌はないのか」という潜在市場だったのか。この原作で語られている問題と映画のありかたの矛盾に時代を感じます。

最後に多くの人が号泣されていたので、いまの感覚で見たら複雑な気持ちになったり失望した人もいたんじゃないかな。

 

 

  *   *   *   *

 

 

この映画は猛暑のなか映画館で涼みたくて観た映画でした。

たまたまの出会いでしたが、今年の夏は、この映画・原作の存在を知ったことが大きな出来事になりました。

よくわからないけど観てみると、学びの機縁になります。