子どもの頃にテレビで見た大霊界おじさんに対するイメージが、昔の映画を観るようになってから一変しています。
この時代の人の死生観とガッツには、他の世代と違う複雑さがありますね。
数年前に伝記を読んで感銘を受けたワコールの創始者・塚本幸一さんと2歳違いで、塚本さんは大正9年、丹波さんは大正11年生まれ。
同世代の仲間が戦争へ行き自分は生き残ったという意識と、自分は何をすべきかという葛藤が常にベースにあって、聖と俗の併せ持ちかたもすさまじい。
タイトルの「見事な生涯」は丹波さんの葬儀で弔辞を述べた西田敏行さんの言葉で、本を開くと二人の交流の話からはじまります。
岩下志麻さんの話がおもしろい
この本を読むと、女性はもれなく岩下志麻さんのファンになります。
『智恵子抄』という映画で共演した際に一緒に布団に入るシーンがあり、 ”対策” としてがっちりデニムを穿いていたそうです。それを岩下さん本人が語るのではなく、丹波さんが「あいつジーパン穿いてやがんの!」と愚痴るかたちで公開されていました。
そこでオレは夫の篠田に電話をした、「志麻子に、ジーパンを脱ぐように言ってくれ」と。篠田も「それは丹波さんのおっしゃる通りです」と答えたが、志麻子はかたくなにジーパンを穿いたままで、無理やり脱がそうとしたら、めちゃくちゃに引っかかれ、手がミミズ腫れになってしまった……。
(第5章 智恵子抄 より)
セクハラのエピソードが明るすぎてついていけません(笑)。
わたしがこの伝記を読もうと思ったのは篠田監督の映画『沈黙』を観て驚いたのがきっかけなのですが、篠田監督と岩下志麻さんは丹波さんの扱い方のプロなのでしょう。
スピリチュアル語録がナイス
ドラマ「キイハンター」の頃の章がとにかくおもしろくて、共演者の大川栄子さんに説いていたスピリチュアルな話もこんな調子。
「あの世はチャーハンみたいなもんさ」
奇抜な譬えも持ち出した。どうやら霊界では、チャーハンの具のように、いろいろな魂が混ざり合って調和を保っていると言いたかったらしい。
(第6章 ボスとファミリー より)
おもしろすぎます。
大川さんに楽屋で指輪をプレゼントしながら「陽子(野際陽子)にはナイショだぞ」と言った際に、カーテンの中で着替えをしていた野際さんが「陽子はここにいるぞぉ~!」と声を出した話も最高です。
オープニングの曲だけは知っていたのですが、タイトルもCM前の画面もかっこよすぎて驚きました。
40代後半が濃い
強烈な独占欲で愛人を束縛していた話も書かれていました。
『007』と『智恵子抄』でキャリアの第一のピークに登りつめたかに見えた丹波だが、内面では苦悩の極に達していた。国際的なスターになった一九六九年に、いくつかの仕事を放擲してまで、ひとりイタリアに逃避している。ローマからの手紙には、感情の箍が外れたかのような丹波の肉声が溢れんばかりだ。
(第12章 不倫と純愛 より)
このあとに、恋人に宛てた手紙の内容が載っていました。
その手紙の文章を読んでいたら、丹波さんは演じる役の性質が多岐にわたりすぎて自我が削られてしまっているのではないかという印象を受けました。
でもここからの「キイハンター」「Gメン75」なんです。
悩んでからの抜け方がすごく、この頃から霊界の話が多くなります。
70代を過ぎてから語られた、幼い頃・学生時代のこと
ほとんどゴーストライターが書いたと豪快に明かしている70冊にも及ぶ著作の中で、70代を過ぎてから語られていることに、やはり塚本幸一さんと同時代の人だ、と感じるものがありました。
学徒兵時代の経験が強烈だったみたい。
丹波のように戦地での経験が皆無の兵隊は、同世代には珍しい。
同い年の有名人には、『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家の水木しげるや、「ダイエー」を創業し、日本最大のスーパーマーケット・チェーンに育てあげた中内功らがいる。
(中略)
丹波が最前線に送られなかったのは、皮肉にも吃音のおかげだった。こんな口ぶりでは軍令を発せられないし、昇官させても部隊を指揮するどころではない。軍の上層部に廃兵扱いされたと、丹波は七十の坂を越してからようやく明かす。
同僚だった学徒兵の大半は激戦地に送られ、多くが戦死している。丹波が沈黙を守ってきたのは、そのためだろう。
(第2章 第三の男 より)
このあと終戦を迎えて吃音が嘘のように消えてしまい、天の配慮以外にないと思ったことが、のちの「霊界」への関心につながったようです。
記憶が飛んでいたという7歳の頃の出来事については、72歳で刊行した書物で明かされ、81歳頃の書物でその記憶の飛びかた、つらい現実に一年間気づかなかったと語られています。
それは周囲から可愛がられていた妹さんを亡くされた話で、一緒に「傷んだお菓子」を食べて自分は生き残れたのだけど、そのお菓子を妹と共有したのは自分だったそうです。そのため、家族と近所の人が無言の悲しみと怒りを必死で抑えていることを強烈に感じとっていたと。
戦争よりも前のこの時点で、生きていてごめんなさいという感覚を持たれているように見えました。少年期から青年期にかけての吃音の話も、この本を読まなければ知ることのなかった話です。
この時代の人の思想の成り立ちを語る際には、戦争の歴史や集団で編み上げられた価値観、家族観の見直しが切り離せない。この伝記はそこをみっちり読ませてくれます。
最初から華やか
この伝記は祖父母の家の話から始まります。
祖父は現在の東大の薬学部第1期生。卒業後にドイツへ留学した船に森鴎外も同乗していて、森鴎外の日記に登場しています。
祖父の家には使用人がたくさんいて、そのなかにイギリス人の運転手もいたために、のちにショーン・コネリーやウィリアム・ホールデンと共演することになっても、外国人に対してコンプレックスのないメンタルだったようです。
GHQの臨時通訳に採用されていた頃にマッカーサーとエレベーターで一緒になったことが二度あって、米兵たちの態度を観察した話も興味深い内容でした。
上司であるマッカーサーが先に降りてエレベーターに残った米兵たちが口笛を吹いて笑っている現実を見て「こんな軍隊になんで日本は負けたんだろう……」と思ったそうです。
俳優になる前のエピソードの時点で濃い話だらけでした。
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古い作品ではヤクザや殺し屋のイメージですが、テレビに移行する時期から映画ではいろんな宗教家、僧侶、殉教者の役をみごとに演じ、多くの作品に出演されています。
心理的な理由で吃音が治ることを医学的に説明されて納得していたら霊界とは別の方向もあったかもしれないけれど、戦争が絡んでくると「潜在意識の命令で吃音を演じたのではないか」と、自分をさらに疑って責めるスパイラルにハマりかねません。
この時代の日本人らしい心の守り方としての「大霊界」だとしたら、至極納得です。
まーそれにしても、おもしろかった。
重さとおかしさの振れ幅がすごくて、胸と腹筋が同時に筋肉痛になる本でした。