うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者・塚本幸一/北康利 著

おもしろかった~。この社長の伝記を読むのは二冊目です。

この本は今年の6月に出版されたばかり。キーパーソンとなった女性社員への取材から書かれた話もあり、ただの過去ログの寄せ集めじゃない充実の内容です。ぶ厚い本なのに毎日お昼休みのこの読書が楽しみで、一週間ほどで読み終えました。

 

実はこの本が、初夏からずっと気になっていたのでした。

稲盛和夫さんが亡くなられたときにヨガの先輩がいくつか本を貸してくださって、その中に登場した塚本幸一さんの自伝を読んでいました。

 

 

わたしにとって、いまはワコールといえば「CX-W」。

ラソンをしている人にファンが多いブランドじゃないかと思います。

この本を読んで、そういえば昔「ぃよせてあげてぇ~♪」なんて演歌調の歌とのギャップがおもしろいCMがあったな・・・というのを思い出しました。(グッドアップブラ。なつかしい)

この伝記には、二代目社長(息子さん)に引き継がれてからしばらくまでのことが書かれています。

 

 

 

この本は、やはり戦争体験の掘り下げが読みどころ。

塚本幸一さんがインパール作戦に従軍したメンバーで、その数少ない生還者としてのマインド、「戦い」「戦友」という言葉に対する意識が特別であることがよくわかります。

 

特に興味深かったのは、塚本さんが初年兵教育隊に総務経理担当として出向していたときに、すでに兵士の屎尿を売るビジネスを始めていた話です。栄養価の高いものを食べている兵士の屎尿を周囲の農家が肥料に買いに来ていたそうで、それを入札制で売って利益を得ていたとのこと。

この話のあとにインパール作戦の話になります。

 

以前読んだ伝記でもここは壮絶で驚きましたが、この本で読むと、よりドラマのように頭の中で場面が展開されます。

 病気になった時、ラングーンの病院に後送してもらえた幸一は幸運だった。退却戦の時期ともなると、担架に乗せられた隊員、松葉杖をつく兵に自決命令が出された。銃を取り上げられ、手榴弾が手渡される。

「いや、まだ動けます! 大丈夫です!」

 そう必死に言い張る者は、古参兵によって背後から撃たれた。

 ジャングルのあちこちで銃声が響き、手榴弾の破裂音が聞こえた。音を聞けば日本軍のものだとすぐわかる。耳をふさいでも否応なくその音は周囲にこだまする。やがてみな、なんとも思わなくなっていった。

 敵兵に殺された数より、餓死したり自決させられた兵士の方がはるかに多かった。それがインパール作戦だったのだ。彼が後に何度も悪夢に見た “人の橋” を歩いて湿地帯を渡ったのは、まさにこの頃のことであった。

 山中のけもの道をさまよいながら、ようやく目的地であるタイ国境付近に到着した。気がつけば彼の部隊の五五名はわずか三名となっていた。

インパール作戦と白骨街道 より)

戦争被害=殺される、ではない。仲間の餓死と自決命令。特に後者の目撃経験は、よくそこからメンタルを持ち直していけたなと、どうにも想像が及びません。

昔の映画を観ていると、戦争経験者同士の挨拶や再会に特別な感情があることが見てとれますが(『お茶漬けの味』『秋刀魚の味』など)、この本を読むと実社会の変化と並行した流れで書かれているので、より理解しやすく感じます。

といっても、想像をはるかに超えているのだけど。

 

 

戦争経験者としてのちに親友となる千宗興さんとのエピソードも印象に残りました。

 戦時中、千は海軍少尉として徳島海軍航空隊に配属され、二五キロ爆弾をふたつ積んでの飛行訓練に明け暮れた。同僚に、のちに俳優となり水戸黄門で名を馳せた西村晃がいた。

 自ら特攻を志願し、沖縄作戦展開の特別攻撃隊 “白菊” の隊員として散華する覚悟を決めていたが、裏千家の血を絶やしてはいけないという上官の配慮が働いて松山航空隊に転属となり、出撃しないまま終戦を迎える。特攻で死んでいった戦友たちのことを思うと、忸怩たる思いであった。

 やはり彼も、戦後を “生かされた” と感じている人間の一人だったのだ。

(生涯の友・千宗興との出会い より)

この本を読むと、戦時中に20代30代だった人の “生かされた” という言葉には背景にかなり幅というか、各個人に多くの複雑なものがあることがわかります。

ポジティブな意味合いだけではない、かなり複雑なものがそこにある。

この本は、それをさまざまな角度から理解させてくれます。

 

 

途中で挿入されるちょっとした小ネタのような話もおもしろく、宇野千代さんの名前が登場する章がありました。以下に登場する「片尾さん」は、当時のワコールの広告・宣伝担当。

 昭和二八年(一九三五年)、和江商事は前年比二三%の売上高を挙げて設立以来四年目の決算を締めた。資本金は四○○万円、従業員は一五五名となっていた。

 一年前の年末に味わった倒産の危機が、遠い過去のことに思える快進撃だ。

 片尾はもう一つヒットを飛ばす。それが「宇野千代マフラー」だった。

 宇野千代といえば恋多き女性として知られる小説家だが、ファッション界のリーダー的存在でもあった。片尾がデザインして宇野千代にネーミングを頼んだところ、彼女は大胆にも自分の名前をつけたというわけだ。自己主張の強い彼女らしい話だ。

(窮地を救ったジュードー・サンチュールと宇野千代マフラー より)

ものすごいインフルエンサーだったんですね。

(いまでもわたしにとって宇野千代さんはNo.1インフルエンサー

 

 

このほか、京都には昔 “夜の商工会議所” として知られていたベラミというナイトクラブがあったそうで、そこで知り合った美女(現在のデビ夫人)とのエピソードなど、平成序盤の週刊文春の記事にあった話も盛り込まれていました。

こういう光景は、むかし「ビジネスガール(BG)」という言葉があった時代の映画(『B・G物語 二十歳の設計』『その場所に女ありて』など)が好きなわたしにとっては脳内で絵が浮かびやすく、頭の息抜きになります。

 

 

最初に読んだ本にあった、ウーマン・リブ時代のノーブラ運動の話は何度読んでもハラハラするわ興味深いわで、こういう時代の価値観への企業の取り組みって、読んでいると一緒に頭を抱えるような気持ちになります。

個人や企業の信念・理念と違う方向へ時代の価値観が流れていくのは、避けられないことだけど、その都度考え方を見直していく契機として捉えるには、どうにも葛藤がしんどい。

後半は万博への出展話など時代的にバブリーな話も多く、戦後のビジネス史として読みごたえがありました。