数年前に著者が亡くなられたときに作品を目にする機会が増え、発せられた言葉が気になっていたのですが、まだ本を読んだことがありませんでした。
少し前に映画監督・新藤兼人さんが95歳の時に語った言葉を読み、漠然と共有される「老人」のイメージと現実の違いを知り、100歳を越えて出版された篠田桃紅さんのエッセイを読んでみたくなりました。
新藤監督の語りもそうでしたが、人生の先輩がすべて亡くなっている状況で、多くの人の様々な人生を生きかただけでなく死にかたまで見てきた人は、幸福と不幸の区分けをしない視点があって、仏に近いところへ行っているように見えます。
90代の頃のことを "過去" として振り返って語られているあたりからさらに内容が濃くなっていきます。
この世は、最大公約数で成り立っています。私みたいに、稀に長生きする人のために商売をしていたら成り立ちません。新聞社や出版社にしても、厚い読者層に照準を合わせます。だから私などは、だんだんと、社会で生きる資格を失っていることを感じます。いくら経験を積んできても、百を過ぎると、現実の社会に役に立たない。隔たりが、あまりにも開き過ぎています。
十年ほど前の九十代のときは、私もすこし先を生きる人間として若い人たちに助言し、お手本になるようなこともできたのですが、もう、ここまでくると、そういう役目もない。どうにも違いすぎるように感じます。
生き残っているというだけで、社会になんの役にも立たない。絵を描く仕事をして、一人で暮らしている。自分自身のためだけの人生で、まわりの人はただ厄介なだけです。
今は、私より先に亡くなった人たちのことを、後世に語っておくことが、私の一つの義務かもしれないと思い、また、もし、彼らが生きているとしたらであろうと考えるのは、その人への供養なのかもしれないと思っています。
(なんでも言っておく、伝えておく より)
謙遜でも悲観でもなく淡々と数の原理で見て、そこから自分なりにできることを考えた後に語られている内容が、実際ほかでは聞けない内容になっています。
もう、それがとにかく興味深くて。
わたしは今回この本をきっかけに北村ミナさんの "その後" のエピソードを知りました。その後というのは、島崎藤村の『春』という小説の “その後” です。
この本で思い出話として語られる部分の登場人物と著者の生まれ年を見てみたら、篠田桃紅さんは太宰治の4歳下でした。
この本にある『ずっと人はいきいきと生きていた』という章を読んだら一気に感情が溢れ出てきて、言葉にならないくらいでした。
こんな書き出しではじまります。
私が通っていた女学校に、北村ミナ先生という英語の教諭がいました。英語をわかりやすく、ときには英語の歌も取り入れて、これはやさしいメロディーだから歌いましょう、と言って、英語を楽しく教えてくれる先生でした。
そのミナ先生が、実は北村透谷の未亡人だったことを『北村透谷全集』が立て続けに刊行されたことで、私たち女学生は知り、学校中、大騒ぎになりました。そのころの文学全集といえば、たいていの家庭が買っていたもので、編纂は当代の人気作家、北村透谷の友人の島崎藤村によることからも、注目を集めました。
北村透谷という人について知識がなかった私たちは、明治時代、自由民権運動に関わった近代を代表する評論家であり、詩人であること。大恋愛で結婚をし、二十五歳の若さで自殺。その大恋愛のお相手が、ミナ先生だったことを知りました。
有名な代議士の娘だったミナ先生は、親が決めた許嫁との婚約を破棄し、反対を押し切って、貧しい透谷と結婚したとのことで、透谷が自殺してからは、単身で渡米し、アメリカの大学で学位を取得していました。
自分で相手を選んで結婚するなんてことは、世間では御法度。とんでもない不良娘だとされていた時代に、さらに渡米までして、学位を取得。
私たちは、ミナ先生は先駆的な女性だと感心し、特に三歳上の姉の学年は、学年中が先生の大ファンとなり、結婚する相手は自分で見つけなくてはね、と互いに言い合っていました。
ここは、読んでいて号泣してしまったほど、胸にきました。
小説『春』の、青木操さん(←小説の中の名前)が34年後にこんなふうに後世の芸術家に影響を与えていることに感動します。
こういう話はもっと知られたほうがいい。朝の連ドラになったらいいくらい。
「今は、私より先に亡くなった人たちのことを、後世に語っておくことが、私の一つの義務」として篠田さんが語られている話の中で、この話が一番ズシンときました。
北村ミナ先生については、J-STAGE(オンラインで学術ジャーナルを読めるサイト)で読める記事があったので、こちらで読んだら年譜もありました。
出てくる文学者の話も、100年以上生きている人にとっては、そんなに昔の人じゃなかったんですね・・・。こんなふうに書かれていました。
私が好きだった文学者は、長生きしませんでした。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、みんな若くして亡くなりました。夏目漱石は、精神的ストレスから胃弱で、大正初期に病死し、芥川龍之介と太宰治は昭和期に自殺。テレビがまだなかったので、私はラジオで知りました。
(悩み苦しむ心を救った日本の文学 より)
芥川龍之介の死を「私はラジオで知りました」なんて調子で語られると、「おおおっ」となります。帝国ホテルで本人を見かけたこともあると書かれていました。
わたしは親から「あさま山荘事件」のニュースを見た時の話を聞くだけで「おおおおぉぉぉぉーっ」となったりするので、こういう話が出てくるとビクッとします。
読みはじめは自己啓発書に仕立てようとしている構成が鼻についていたのですが、ミナ先生の話が出てきて以降、ぐっと前のめりでいっきに読みました。
本との出会いはエピソードとの出会い。なにげなく気になった本を読んでみるのって、いいもんだなと思いました。